弁護士という立場から、身近な法律トラブルや社会に対する疑問などをわかりやすく解説するコメンテーターとしてもメディアで活躍している三輪記子さん。官僚を目指して東大に進学するも、周りの優秀さから夢を諦め飲んだくれてしまったことも。そこから奮起し、10年かけて司法試験に合格。この経験が三輪さんの人生にとって大きな影響を与えることになりました。

東大進学も落ちこぼれ「飲み屋で弁護士になりなよと」

── 京都のご出身で、中高一貫の進学校を経て、東京大学に現役で合格されています。やはり子どものころから勉強は得意だったのですか?

 

三輪さん:もともと、親が教育熱心だったんです。勉強はできるほうだったので、親の期待も大きかったのだと思います。でも、小学生のころは、『4時ですよーだ』というダウンタウンが出演していたバラエティ番組やとんねるずの番組に夢中になっていました。お笑いにすごく興味がありましたね。

 

── 弁護士や裁判官が出てくるドラマを観て、憧れたりはしたことは…?

 

三輪さん:まったくなかったです。ただ、現皇后の雅子さまが独身でいらしたころ、外交官として活躍されている姿を見てカッコいい!と思っていて。公務員は女性でも実力主義で働けるイメージだったので、漠然と憧れていました。通っていた高校は私立大の附属校だったので、東大を目指す子はほとんどいなかったけれど、「国家公務員になりたいのなら、地元の京大よりも東大だろう」と考えて東大を受験したんです。

 

三輪記子
東大を目指し勉学に励んだ高校時代

東大に入学した後、すぐに「行政機構研究会」というサークルに入ったんですが、公務員志望の学生が集まる勉強会サークルで、とにかく優秀な人が多くて。早々に「自分には公務員は無理だ」って挫折しちゃったんです。外交官になる夢は入学してすぐに潰えてしまい、そこから目標のない飲んだくれ生活に突入しました。大学にもあまり行かなくなり、3回留年して。そんな感じで勉強する気はなかったのに、大学には居座り続けていたんです。

 

── そこからどうして弁護士を志すことに?

 

三輪さん:大学に行かない代わりに、飲みには出かけていて(笑)。飲み屋で林海象監督(映画監督・プロデューサー・脚本家)にたまたま出会ったのです。海象さんも京都出身だったので、同郷のよしみでかわいがっていただきました。飲み屋で一緒になって話していたときに、海象さんから「お前は弁護士になれ」って言われたことがあって。「東大に入れるんだったら勉強はできるだろう。飲み屋でこんなにいろんな年代のいろんな人の話を聞くことができるなら、人の話を聞く職業は向いてるだろう」ということで。そこで「はい、なります!」って軽い気持ちで答えちゃったんです。

 

── そんな些細なやりとりから8年にわたって司法試験を受けることになったとは…。

 

三輪さん:大学入学以来、まともに勉強をしてこなかったので、司法試験は結果的に7回も落ちてしまって。5回落ちたころには本当にやばいと思い始めました。もうこれ以外の道はないんだと追い込まれました。

 

試験は年1回なのですが、最初の数年は真面目に勉強をしていない自覚があったので「もう少しきちんとやれば受かるかな」って思っていたんです。でも、そんな甘いものじゃなかった。私が司法試験の勉強中に、経済的に困ったあげく水商売を始めるのではないかと親は不安だったようで、仕送りはずっとしてくれていました。30歳を過ぎても実家を頼って、夢を追いかけているという感じでした。