戻る場所があることが支えになった

── とても素敵なエピソードですね。お仕事も大変だったのではないでしょうか?

 

長藤さん:当時の私は営業の仕事をしていました。病気がわかった日の夜に上司にすぐ電話をしたのですが、前日までなにごともなく元気だったため、私と同じように上司もとても驚いていました。

 

実は手術の後には抗がん剤治療が予定されていて、治療期間は治療が始まらないとどの程度かわからないと医師から言われていました。私としては、治療がいつまでかかるかわからないのに休職するのは、ただただ同僚や取引先のお客さまの負担になってしまうし、迷惑だなと思っていて。辞めるつもりで、病気のことを上司に伝えたんです。

 

すると上司は「お前の席は俺が絶対にとっておくから、何年かかっても戻ってこい。絶対大丈夫だ」と。私に辞める以外の選択肢を与えてくれたことと、そのポジティブな言葉に思わず泣いてしまいました。

 

── 素敵な上司ですね。

 

長藤さん:はい。結局、休職をさせてもらうことになったのですが、その間も上司はマネージメント業務に加え、私が担当していた現場仕事を代わりにこなしてくれたんです。
そうすれば誰にも負担はかからないし、文句を言わないだろうと。闘病中はコロナ禍で面会が難しかったのですが、「ごめん今月はちょっと目標数値に達しなかった。(長藤さんが)いないとキツいから、早く戻ってこいよ」など、ときどき連絡をくれましたね。

 

結果的に想定より早い4か月半で治療を終えて復帰できたのですが、今思えば待っていてくれる人がいること、戻る場所があることは、とても心強かったです。もし会社を辞めていたら、精神的にもっとキツく感じていたと思います。

 

 

突然、卵巣がんがわかり生活が一変した長藤さん。手術の際、再発のリスクはあるものの、子どもを産む可能性を残すため、左側の卵巣を残すことを決断します。手術は無事に成功するも、残された卵子の数が非常に少ないことが発覚。一時は子どもを持つ人生を諦めたこともあったそうですが、その後、奇跡的に自然妊娠。現在は手術から5年以上経ち、寛解期間を終え、家族3人で幸せに過ごしています。

取材・文/酒井明子 写真提供/長藤由理花