「義足をハイブランドのような存在に」

── その海音さんが、義足を公表してモデルとして再デビューされるまでに、どのような心境の変化があったのですか。
海音さん:高校を卒業するころ、義足が足に合わなくなってしまったんです。どの病院へ行っても解決策がわからなくて、膝の裏がこすれて、骨が見えるくらいえぐれてしまいました。ある病院では、「これ以上ひどくなったら、感染症のおそれがあるから車いすに乗ってください」と言われてしまって。それで、技師装具士(義手や義足などを作る専門職)として有名な臼井二美男さんにお願いしてみよう、ということになったんです。
母と一緒に臼井さんを訪ねて、義足を調整してもらったら、5分で直ったんです。「すごい!」と感動して、臼井さんに新しい義足を作ってもらうことにしました。後日、型取りのためにうかがったとき、写真家の越智貴雄さんを紹介されました。
越智さんは、義足をテーマにした『切断ヴィーナス』という写真集を出した方です。「よかったら、『切断ヴィーナス』の第2弾に出てほしい」と言ってくださったのですが、そのときは義足を隠していたので、やんわりお断りしました。その後、越智さんが東京から大阪の自宅まで来てくださって、もう一度お話しました。その際、越智さんがおっしゃった「義足をハイブランドのようなカッコいい存在にしたい」というひと言で、私の気持ちは180度変わりました。
それまでの私にとって、義足は人と違う「恥ずかしい部分」でした。でも、越智さんの言葉を聞いて、「義足は恥ずかしいものじゃないし、カッコいいんだ」と思いました。私は、本当はもう一度モデルをやりたかったんです。でも、義足を見られたくないから、あきらめていました。越智さんと出会って、「義足をカッコいい存在にするために、またモデルをやりたい!」という気持ちになりました。
── 義足を公表したときのことを教えてください。
海音さん:写真集の前に、コロナ下のチャリティイベントで越智さんが企画した「切断ヴィーナスショー」というファッションショーで、初めて人前で義足を見せました。「私を見て!」という気持ちで、自信満々に歩きました。そのとき「私は生まれ変わりました」と思ったのですが、本当に、その1日で私の世界は全部変わりました。ガラッと。
ファッションショーは世界配信されて、当日は5つくらいのメディアが密着してくれました。テレビの夕方のニュース番組で私のことが放送された直後、スマホの通知が鳴りやまなかったのを覚えています。「みんな見てくれていたんだ」とびっくりしましたし、うれしかったです。友達から「なんで言ってくれなかったの?」と聞かれて、「なんでやろ」と。いままで、どうして義足のことを隠していたんだろうと、そのとき思いました。
そのニュースで私を知ってくれた方も多くて、「カッコいい」「勇気をもらえた」というコメントをたくさんいただいて、「やってみてよかった」と思いました。