キッズモデルやアイドルグループの一員として活動していた12歳のとき、「多発血管炎性肉芽腫症」という病気のため右足を切断した海音さん。義足をつけていることを隠していた彼女が、義足を公表してモデルとして再デビューしたきっかけを聞きました。

義足のことは「一生隠しているつもりだった」

海音
2008年、ファッショショー出演

── 12歳のとき、病気のため右足を切断する手術を受けられたのですね。

 

海音さん:血管に炎症が起きる「多発血管炎肉芽腫症」という病気で、血流が滞って右足が壊死してしまったんです。ずっと入院していて学校には行けなかったのですが、同じ小児科に入院している友達と遊んだり、仲のいい看護師さんとおしゃべりしたりして、入院中は意外と楽しかったです。勉強は、専門の先生が病院に来て教えてくださいました。

 

病気のせいで免疫力がとても低かったので、退院してからもしょっちゅう風邪をひいていました。風邪から病気が再発して入退院を繰り返していたので、中学校はほとんど行けていません。特に冬になると体調が悪くなって、クリスマスの時期に入院して、退院できたのは春になってからということもありました。高校生になったらようやく落ち着いて、風邪をひいても、入院するほど炎症が起こることはなくなりました。ここ5年以上は再発していないので、ほぼ完治しています。

 

── 義足をつけていることで、生活していて大変なことはありましたか。

 

海音さん:義足をつけていることは、家族以外には隠していました。子どものころにモデルをしていて歩き方の基礎ができていたのか、義足をつけていても速く歩けるし、歩き方も普通で、結局、高校を卒業するまでの6年間、誰にも気づかれませんでした。 

 

当時は「義足の自分ってどう思われるんだろう」「かわいそうと思われて、友達が今まで通りに接してくれなくなるかもしれない」と考えてしまったんです。そう思ったら怖くて「バレないようにしなきゃ!」と思っていました。

 

中学校はほとんど行けなかったし、高校は通信制で、友達に会う機会が少なかったのですが、病気になる前にアイドルやモデルをしていたころの友達とは、義足になってからも遊んでいました。所属していたアイドルグループの復活ライブに出演したこともあります。そのときも、誰にも気づかれませんでした。

 

── よく気づかれませんでしたね。

 

海音さん:基本的にはロングスカートやパンツを履いていました。座ると義足の形がわかってしまうので、手を置いて隠したり、友達の左側を歩かないようにしたり。徹底していました。

 

一生隠しているつもりだったし、自分のなかでも義足は「ないもの」として消し去っていました。だから、孤独感とか悩みはなかったですね。ただ外で友達と会って、一緒に歩けるのがうれしかったです。