主治医から「あのときの目が忘れられない」と

── 病名がわかるまで、不安でしたね。
海音さん:入院したときは、足の指が黒くなっていて、両足に黒い点々が出ていました。泣き叫ぶくらい足が痛くて、精神的にやられてしまいました。「お母さんに会いたい!お父さんに会いたい!」と赤ちゃんみたいに私が泣くから、お母さんは泊まり込みでつき添ってくれましたし、お父さんも、夜、仕事が終わったら来てくれて、朝、病室から仕事へ行っていました。
いろいろな検査をして「多発血管炎性肉芽腫症」という病名がわかったのは3、4か月後だったと思います。血管に炎症が起こり、血流が悪くなる指定難病です。病気のことは両親から聞きました。そのときは、「血管の病気なんだ」くらいにしか思わなかったです。
── 病名がわかって、足の痛みは治まったのですか。
海音さん:入院して1か月くらいで、右足の黒くなった部分が壊死してしまったんです。その瞬間から痛みはなくなりました。その代わり、「いつ足が折れてしまうかわからない状態だから、歩いちゃいけない」と先生に言われて、車いす生活になりました。そのときは、「私はもう一生歩けないのかな。ダンスもできないし、モデルもできない…」と思って、落ち込みました。
壊死してしまった細胞はもう元に戻らないので、その時点で、両親は先生から右足を切断しないといけないことを伝えられていたと思います。私が先生から聞いたのはもう少し後でした。「海音ちゃんの足は元に戻らないけれど、義足をつければ歩けるようになるよ」と言われて、「えっ!歩けるの?歩けるようになるなら、手術したい!」と喜びました。主治医の先生から、「あのときの目のキラキラを忘れられない」と言われるくらい、歩けるようになることが心からうれしかったです。
── では、前向きな気持ちで手術を受けられたのですね。
海音さん:そのときは前向きだったんですけど、よく考えたら自分の足がなくなることが怖くなって、「やっぱり無理!」という気持ちになって…。手術日が決まっていたのを延期してもらったんです。家に帰らせてもらって、1~2週間、ゆっくり過ごして気持ちを整理しました。免疫力が新生児並みに低かったので、旅行をするのは無理でしたが、家におじいちゃんおばあちゃんも来てくれて、鉄板焼きやお好み焼きパーティーをしました。