キッズモデルやアイドルとして活動していた海音さんは、12歳のとき、「多発血管炎性肉芽腫症」という病気のため右足を切断する手術を受けることに。最初、貧血や痛みの症状を病院で診てもらったときは「過労と成長痛」と言われたそうです。
「これが成長痛か」と思っていた矢先に

── 小さいころは、どんなお子さんでしたか。
海音さん:すごく人見知りをする子でした。でも、カメラの前に立つのは好きだったのを覚えています。5歳のころ、いつもお洋服を買いに行っていたブランドのスタッフさんから「フォトコンテストがあるから出てみない?」と誘われて出場したことがあったんです。そのとき、人見知りをしてずっと泣いていたのに、カメラを向けられたら笑顔になってポーズを取っている私を見て、お母さんは「写真を撮られるのが好きなのかな」と思ったみたいです。
そのコンテストでグランプリに選ばれて、カタログのモデルをやらせてもらったことをきっかけに、キッズモデルの活動を始めました。写真を撮られるのも、かわいいお洋服を着てメイクをしてもらうのも楽しくて、「大人になってもやっていきたい」と思っていました。
10歳のころから、アイドル活動も始めました。モデルを始めてからも人見知りだったので、当時所属していた事務所の社長に、「人慣れするために、アイドルグループに入ってほしい」と言われて、アイドルグループに入ることになりました。もともとあったグループにあとから入ったので、ダンスを必死になって覚えました。そのころは、学校に通いながら、月1回のライブとお芝居の公演に向けて練習していました。充実していましたが、12歳で病気になって、続けられなくなってしまいました。
── どのような症状があったのでしょう。
海音さん:初めは、貧血みたいな症状と、両膝の関節の痛みがありました。病院で診てもらったら、「過労と成長痛」と言われました。学校に通いながらモデルやアイドルの活動をしていたし、たしかに身長が伸びていたので「これが成長痛か」と思って。でも、そのうちにダンスの後に急に意識が飛んで、倒れてしまうようになったんです。別の病院で血液検査をしたら異常な炎症反応が出て、「緊急入院してください」と言われました。
でも、その日はおじいちゃんとおばあちゃんと約束していたから、「ちょっと待ってください」とお願いして、大阪城へプロジェクションマッピングを見に行ったんです。そうしたら、手の爪が真紫色になって、足が痛くて歩けなくなってしまいました。
次の日、病院へ行ったら「うちでは治療ができません」と言われて、いま通っている大きい病院のベッドに空きが出るまで、入院することになりました。点滴をしてもらいながら1週間待って、転院しました。