義足に体重を乗せるだけで痛い

海音
入院中の海音さん

── どのような手術だったのですか。

 

海音さん:壊死したのは右足のくるぶしまでだったのですが、再発のおそれがないように、ふくらはぎの半分くらいのところまで切断しました。手術は3時間くらいで終わって、麻酔から醒めた第一声は「アイス食べたい」でした。全身麻酔で、喉がカラカラだったんです。看護師さんに「いいよ」と言われたので、アイスを食べました。足のことは考えなかったです。

 

手術のあと、腫れている足を硬い包帯みたいなもので毎日圧迫しないといけなくて、それが痛くていやでした。腫れがひいて、血を抜くための管が抜けてから、義足を履くための準備を始めました。最初は、義足の下にシリコンライナーを履く練習をするのですが、それがまた痛くて!腫れた足をギュッと締めつけられる痛みで、毎日リハビリのたびに「痛い痛い!」と泣いていました。

 

── 初めて義足を履いたときのことを覚えていらっしゃいますか。

 

海音さん:手術の1週間後くらいに義足ができあがって、その日に初めてつけました。最初は、義足に体重を乗せるだけでも痛いんです。「つけたくない!」と泣く私に、リハビリの先生が「いける!」と励ましてくれて。「つけたくない!」「いける!」と、2時間くらいそんなやりとりをしていました。

 

でも、義足をつけて1歩を踏み出してからは、歩けるようになるまで早かったです。先生には「義足をつけて歩けるようになるまで、3か月はかかる」と言われていたんですけど、私は1週間で歩けるようになって、1か月で退院しました。先生も、「あんなに泣いていたのに」とびっくりしていました。痛みはありましたが、とにかく「早く歩きたい!」という気持ちが強くて、痛みのことは考えずにがんばりました。歩けるようになったことが、ただただ嬉しかったです。

 

 

右脚を切断し、義足をつけて歩けるようになった海音さんは、「義足のモデル」として再デビューをして脚光を浴びます。2021年に開催された東京オリンピックの閉会式では国旗を運ぶ役に抜擢され、東京パラリンピックの開会式ではダンスを披露しました。世界で活躍するモデルになる夢に向かって、今も歩き続けています。

取材・文/林優子 写真提供/海音