「1日でも早く来たかった」
── こどもホスピスはどんな場所でしたか。
石田さん:社会と分断された山の中のポツンと一軒家に連れて行かれるんだろうと思っていたら15分ほどでつきました。まだ社会の輪の中にいるというのが第一印象です。着いた瞬間に上手ではないギターの練習の音が聞こえて、なかはとてもカラフル。入り口には、息子の名前が書かれたかわいらしいプレートがかけてありました。「ゆうちゃんのお部屋って書いてあるよ!」と息子に声をかけたくらい、私の気持ちは少し回復していました。
部屋に入ると6人のスタッフさんが並んでいて、「私たちはチーム夕青です。2人ペア、3交代で24時間見守っているから、なんでも言ってね。全員ナースです」と言われました。治療はしないのですが、それまで見捨てられたと思っていたので、看護師が見てくれることに医療と切り離されたわけではないと思えたのは安心感がありました。酸素マスク以外の設備はないのですが、息子の様子をつねに見てくれていました。

── こどもホスピスにはどのようなお子さんがいらっしゃっていたんですか。
石田さん:うちの子はぐったりしていたので、きっとそういう子しかいないんだろうと思っていたのですが、元気な笑い声が響いていました。見に行くと、中庭で車椅子の女の子が遊んでいて。失礼がないよう最大限の配慮をしたうえでスタッフの方に、「あの子も命が危ないんですか」と聞いたところ、「闘病を頑張っているけど、もう快方に向かっているからきっと学校にも戻れると思う」と。
ここは亡くなる子だけがくる場所じゃないんだというのをそこで初めて知りました。それと同時に、これまでの一時退院の際に、なんでここに来なかったんだろうという後悔も生まれました。「一時退院でも来てよかったんですか」と聞くと、「もちろんよ」と。その、もちろんという言葉にすごくショックを受けました。
── 一時退院中は家で過ごしていたと伺いました。
石田さん:病院からは、退院の際に免疫が低いから注意して過ごすよう言われていました。人混みは避けるとか、爪から菌が入るから公園の砂場や土では遊ばない、植物や動物を避けて同じ空間にいない。いちごの表面もきれいに洗えないから生で食べさせず、化学調味料を避けるなどです。
絶対に治すつもりでいたので、完璧にやり遂げるという気持ちで過ごしていました。お散歩には行きたいけど、公園を見てしまったら絶対遊びたいと言うだろうし、見せるだけ見せて、「帰ろう」というのは酷だと思っていました。私が取った選択は、息子に公園を見せない、つまり外に出さないことでした。食事も何を食べさせたらいいのかわからないので、蒸し野菜をあげました。日本から持ってきたふりかけをご飯にかけてあげたいけれど、どれが化学調味料かわからないから、塩だけにして。
私としては回復に向かうためにできることはすべてやろうと頑張っていたのですが、息子からしたら楽しくない退院生活だったのではないかなと後悔していて。もっと早くこどもホスピスに出会えていたら、こんなにいい環境で、何を食べさせたらいいかもすぐに聞くことができたと思うと、「なぜ私は知らなかったんだ、1日でも早く来たかった」と心から思いました。
── 息子さんは5日間、こどもホスピスで過ごしたそうですね。
石田さん:ここはお家かと思うほどの居心地のよさでした。息子は病院のプレイルームに行きたいときに「しゅっぱーつ!」と言っていたのですが、しばらく言わなくなっていて。こどもホスピスに着いた日に遊べる場所があると息子に声をかけると、翌日急に「しゅっぱーつ!」と言ったんです。久しぶりに抱っこして遊びに連れていきました。病院にいたらきっと考えられなかったと思います。その日の夜、「今日楽しかったね」と息子に自然と話しかけていた自分にも驚きました。
でも、だんだんと息子の手が冷たくなっているのを感じて、息子の顔を見ていたら気持ちがいっぱいいっぱいになってしまって。涙を見せるわけにはいかないと、そっと部屋を抜けて共用スペースで座っていたことがありました。夜中の3時ごろでしたが、スタッフの方が気づいて「コーヒー飲む?と」聞いてくれて。そこから話しかけられるわけでもなく、たまに目配せをして、ずっと一緒にいてくれました。私の気持ちが落ち着いて「息子の顔を見たいから戻りますね」と言うまで1時間くらいそばにいてくれていたと思います。家族や親友とでしか作れないようなあたたかな空間がそこにはありました。
息子はその日の朝の8時半に亡くなりました。息子を抱えて部屋を移動するときに調理のスタッフの方とすれ違って。私たちに気づくとすぐにカートを止めて、息子を見送ってくれました。ボランティアのスタッフさんからも家族並みのケアを受けたような感覚があって、同じ人間として、こんなに居心地がいい対応をしてくれる場所があることに感銘を受けました。病院にいたら味わえなかったケアを最後に受けることができましたし、息子との思い出を作れたドイツのこどもホスピスは私にとって心の拠り所となる大切な場所になりました。
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息子さんのお葬式を終えたあと、パニック障害の症状に悩んでいたという石田さん。あっという間に2年が過ぎ、1歳9か月で亡くなった息子さんの年齢を超えてしまったとき、このままではいけないと、いつか故郷の福井に作りたいと思っていたこどもホスピスを作るべく動き始めました。石田さんが目指すのは闘病中のお子さんをヒーローだという目線で見てくれる優しい社会。闘病の有無に関わらず、たくさんの人が関わり合える地域に根づいたこどもホスピスを作るべく、現在も活動を続けているそうです。
取材・文/内橋明日香 写真提供/石田千尋