「芸よりバイト」気持ちが傾いたときに
── フリーランスの芸人として活動していた、ということですか?
小力さん:カッコよく言えばそうですけど、要は「自称」芸人ですね(笑)。漫談やコントユニットなど、おもしろそうなことをいろいろ試し、試行錯誤しながらダラダラと20代を過ごしていましたが、バイトに充実感をだんだん感じるようになって。とくに、デパ地下のコロッケ屋さんで働いていたときは、職場が楽しく、生活も安定していたので、お笑いから少し遠ざかっていたんです。そんななか、芸人仲間と「プロレスコントの合同ライブをやらないか」という話が持ち上がりました。
── なぜ「プロレスコント」だったのでしょう?
小力さん:じつは夜の街の劇場での仕事がヒントになったんです。当時、ショーの合間に司会進行をしたり、ネタで場を盛り上げたりする仕事がありました。その一環で、踊り子さんたちと舞台上でプロレスをやってみたんです。要は、僕らがお姉さんたちにボコボコにされるだけなんですけど、お客さんはすごく盛り上がってくれて。僕らも「このプロレスコントおもしろいね!」と。
当時、プロレス界では新団体が次々と立ち上がっていた時期でした。その流れに便乗しちゃえと「西口プロレス」というプロレス芸の団体を作ったんです。僕は長州力さんが大好きだったので「長州小力」という芸名で活動を始めたのもそこからです。

── 小力さんといえば、長州力さんのものまねで踊るパラパラ芸で知られています。どんなきっかけであのネタが生まれたんですか。
小力さん:試合の合間、ほかの選手たちが着替える間をつなぐために、急きょやったものだったんです。当時、パラパラが流行っていて、ドキュメンタリー番組でコギャルが公園で必死になって練習しているのを見たことがあって。でも、本番では無表情で踊る。そのギャップがシュールでおもしろかったんですよね。そこで、長州力さんの動きと組み合わせてやってみたら、仲間もお客さんもゲラゲラ笑ってくれました。
パラパラで使っている曲『ナイト・オブ・ファイア』は、踊り子さんのアドバイスで取り入れました。最後にテープをパッと投げる演出も、彼女たちからヒントを得ています。どうすればお客さんが盛り上がるかを熟知した本物のプロですからね。実際、すごくウケて手ごたえも感じました。でも、「これで世に出るぞ!」なんて大それたことは、1ミリも思ってなかったんです。