生まれつき色素が少なく、肌や髪が明るい色をしているアルビノ(白皮症)の当事者であり、当事者と家族と関係者の交流会「アルビノ・ドーナツの会」代表を務める藪本舞さん。見た目を理由に就職活動はうまくいかず、突き放されたような感覚に陥ります。

就職活動につまずき、パニック発作に

藪本舞
みんなとはなんとなく距離を感じていた小学生のころ

── 生まれつき肌や髪が明るい色をしており、弱視の症状がある藪本さん。小・中学校では学校で心を開けなかったそうですが、高校、大学ではお互いの個性を尊重しでのびのびと過ごされたのですね。

 

藪本さん:高校も大学も、学校は大変でもあり、楽しくもあったのですが、人の輪が広がった反面、「アルビノであるがゆえにぶつかる社会の壁」を最初に感じた時期でもありました。高校2年の夏休み、アルバイトをしたいと思ったのですが、連続して断られてしまったんです。理由を説明してもらえないこともあったし、「髪の色が就業規則に合わないから採用できない」と言われたこともあります。調べてみたら、視力のせいで将来、自動車の免許を取れないこともわかって、将来の選択肢が狭まった気がしました。

 

「アルバイトもできないのに、就職できるんかな」と不安で。今思うと、身近な大人に相談して話を聞いてもらえばよかったのでしょうけれど、うまく頼れませんでした。ごはんがだんだん食べられなくなって、気がついたら10キロも瘦せてしまって、病院へ行ったら、「食べられるようになるまで入院しようか」と言われました。

 

大学時代もアルバイトをしたくて、友達の紹介で1日だけホームセンターの棚卸しをしたのですが、就業規則で髪の色が決まっているという理由で採用はされませんでした。そのために髪を黒く染めるのは、体への負担や経済的コスト、時間や労力など、総合的にかなり負担がかかるように感じて、私にはできませんでした。

 

── では、就職活動は…。

 

藪本さん:全然うまくいきませんでした。アルバイトでも採用されない私が就職できるのか不安で。大学の就職支援課へ行ったら、「障がいがある人は、障がい者向けの求人でないと難しい」「そういう仕事はおもしろくないけれど、しかたがない」と言われて、突き放されたような気がしました。

 

私は、芸術大学に進学していたので、卒業したら何かクリエイティブな仕事がしたいと思っていました。世の中にはクリエイティブな仕事はたくさんあるだろうから、自分にできる仕事にはどのようなものがあるのか、どういう仕事を選べばいいのか、大人と相談したかったんです。でも、就職支援課では思うように相談にのってもらえなくて、足が遠のいてしまいました。

 

いろいろな人に相談しましたが、「希望の仕事でなくても、生活するためなんだからしかたがない」と言われたり、「就職するためなんだから、髪を黒く染めてはどうか」と言われたりして、心が折れてしまいました。自分のアイデンティティにもかかわることですし、髪を染めることへの違和感が強くて、私はどうしてもしたくなかった。

 

そのうちパニック発作が出るようになりました。急行の電車に乗ると具合が悪くなるから、各駅停車に乗るようにしたり、大学の講義では、すぐに抜けられるように出入口に近い端の席に座ったりしていました。

 

── 病院へは行かれたのですか。

 

藪本さん:病院では不安神経症と診断されました。親身に話を聞いてくださる先生に出会えて、時間はかかりましたけれど、心の安定を取り戻すことができました。といっても、いっときはよくなったと思ったらまたぶり返してしまい、状態が改善するまでには4、5年かかりました。

 

就職活動の時期に、同年代の人たちがリクルートスーツを着ているのを見かけると、ドキドキして逃げ出したくなるんです。そんな状態では就職説明会に行ったり面接を受けたりすることはできなくて。次々と就職先を決めていく友達とは距離を置くようになってしまいました。

 

そのとき、ふと「アルビノの人って、私だけではないはず」と思ったんです。「ほかのアルビノの人は、どういう生活しているんだろう」と知りたくなりました。