大学生活を通して「私はそこに救われました」

藪本舞
幼少期。外に出る時はサングラスを装着

── 高校では、友達との関係が変わりましたか。

 

藪本さん:変わりました。入学してしばらくして、私のことを理解してくれる友達ができて、彼女を介して友達の輪が広がっていきました。その子の中学校は、校則がそれほど厳しくなくて、基準服はあったけれど普段は私服で、靴やかばんも自由だったそうです。そのせいか「髪の色が明るいからほかの人と違う」という先入観を持たずに、私とも自然に接してくれたのだと思います。

 

帰国子女の子からも、「どうしてその髪色なの?」と声をかけてもらって仲よくなりました。いろいろなタイプの友達ができて、自分が悩んでいることに全然、違う意見をもらえて、視野が広がりました。小中学校のころを思うと信じられないくらい、高校生活をのびのびと過ごせました。

 

アルビノのことに触れられずに距離を置かれるよりも、「どうしてそんな見た目なの?」と聞かれて直接説明ができるほうが、私には居心地がよかったです。緊張がほぐれて自然体で過ごすことができて、「息がしやすくなったな」と感じました。最初は不安もありましたが、思いきって地元から離れた高校に進んでよかったと思います。

 

── 高校卒業後、芸術大学に進学されたのですね。

 

藪本さん:将来のことを考えたとき、私にはできないことがたくさんあるんじゃないかと思ったんです。子どものころ、お祭りの出し物に参加できなかったこともありましたし、高校時代にアルバイトをしたくても、採用してもらえませんでした。だったら、むしろ自分のオリジナリティを生かせる道に進みたいと思うようになったんです。もともと音楽や美術が好きだったので、高校卒業後は、芸術大学へ行こうと考えました。

 

── 大学生活はいかがでしたか。

 

藪本さん:高校でものびのび過ごしていたのですが、大学はさらに広いところへ出たような気がしました。芸術大学特有の雰囲気なのか、私の髪の色とかの特徴は珍しくないというか、人と違うことはあたりまえだという空気があって。「人はそれぞれ違うということを起点にして、自分の作品を制作するのだ」というみんなの熱いクリエイティビティがあって、私はそこに救われました。

 

目が見えにくいことも、弱者という目では見られないんです。大学から1歩外に出ると、私は視覚障がい者として一方的に支援を受ける立場に置かれやすいのですが、大学では「見えにくいときは助けてもらうけれど、相手が苦手なことで私ができることは協力する」というやりとりができました。私がアルビノであろうとなかろうと、困っていたらきっと彼らは協力してくれたと思います。

 

私がいた映像学科はチームで作品制作をすることが多かったので、困ったときはお互いに補い合うのが当たり前でした。なんとかして作品を完成させて単位を取ることを目指していたから、助け合いがきれいごとではなかったんですよね。弱いところや苦手なことがあっても、お互いに助け合える関係はあたたかくて、「いい大学に入ったな」と思いました。

 

 

大学時代、助け合いながらのびのびとした生活を送っていた藪本さんですが、いっぽうでアルバイトの面接や就職活動で大きな壁に直面します。パニック発作が出て、リクルートスーツを着ている人を見るだけで気持ちが動揺するように…。しだいに「同じアルビノ当事者の人たちに会ってみたい」と思うようになったといいます。数年後、人生で初めてアルビノの人と出会うことに。話を聞いてもらうことで、悩みやつらさを共感してもらう喜びを痛感したそう。現在は、当事者と家族と関係者の交流会を行うほか、アルビノをはじめ見た目の症状がある人たちの、さまざまな悩みごとに耳を傾ける相談員として活動しています。


取材・文/林 優子 写真提供/藪本 舞