生まれつき色素が少なく、肌や髪が明るい色をしているアルビノ(白皮症)で生まれ、現在は当事者と家族と関係者の交流会「アルビノ・ドーナツの会」代表を務める藪本舞さん。幼少期は周りに守られていたがゆえに生きづらさを感じたこともあったそうです。

知識や情報がなく、家族は手探りで子育てを

藪本舞
赤ちゃん時代の藪本さん

── 藪本さんは、生まれつき色素が少ない「アルビノ」という症状をお持ちですが、産まれたとき、ご両親や周りの方の反応はどのようなものだったのでしょうか。

 

藪本さん:「産まれたときはとても驚いた」と祖母から聞きました。アルビノについての情報や知識がないところに、色素が極端に少ない子どもが産まれて、両親と祖父母はびっくりしたそうです。親戚中を見渡しても、私のような見た目の人はいません。大阪市内の個人病院で産まれたのですが、そこでは検査ができず、「正確な診断ができない」 と言われて、大きい病院に紹介状を書いてもらったそうです。現在の大阪母子医療センターで、「白皮症(アルビノ)」と診断されました。

 

── アルビノの子を育てるには、どのような配慮が必要なのでしょうか。

 

藪本さん:個人差があるので一概には言えないのですが、アルビノの人の多くは紫外線の影響を受けやすく、まぶしさを強く感じます。なかには30分紫外線を浴びただけで体が真っ赤になってしまう人も。治療法はまた確立されていません。

 

私の場合、病院の先生が症状の説明はしてくれましたが、生活のこまごましたことまでは伝えられませんでした。「まぶしそうにしているから、日中は外で遊ばせることはやめたほうがいいんじゃないか」とか、「帽子で日焼けを防げるのか」とか、両親と祖父母が手探りで育ててくれました。視力が弱いことも、4歳くらいのときに検査をして初めてわかりました。私の場合は視力は0.1未満で、メガネをかけても矯正はできません。生まれつき見えにくい子どもは、その状態に順応しているので、保護者のほうが弱視に気づくのに時間がかかることがあるんですよね。周りの人からは「見えにくさがある」ということが伝わりづらいんです。

 

私が3歳のときに両親が離婚をしたため、母にはそれから会えていません。祖父母の家でいとこたちと一緒に育ててもらったのですが、アルビノについて知識や情報がないなかで、私を育てるのは大変だったと思います。

 

── 小学校や中学校での生活で困ったことはありますか。

 

藪本さん:いちばん前の席からでも黒板の字が見にくかったり、教科書やプリントの文字が見にくかったりすることですね。中学校ではテストの文字を拡大してもらったことがありますが、見る範囲が広くなるぶん、首を大きく動かさなければいけなくて、私の場合は見づらかったです。体育の授業ではボールやバドミントンの羽が見えなかったり、「ここまで走って」という目印が見えなかったりしました。

 

紫外線を強く感じてまぶしいので、窓側の席は避けてもらっていました。体育の授業では日焼け止めを塗って、水泳のときは水着の上にブラウスを着て、サングラス代わりに黒いゴーグルをかけていたのを覚えています。

 

── 肌や髪の色のことで何か言われたり、いやな思いをされたりしたことはありますか。

 

藪本さん:私は覚えていないのですが、小さいころ、紫外線を避けるために母や祖母は日が落ちてから私を公園に連れて行ってくれました。そうしたら事情を知らない近所の人たちに、「あそこの家の子は白いから、見られたくなくて夕方、公園へ行っている」と言われたことがあったそうです。

 

また、地元のお祭りで、歌や踊りを披露する出し物の参加者を募集していたことがあったんです。「私も出たい!」と伝えたら、「あなたが出るのはちょっと…」と止められてしまいました。理由を聞いても説明してもらえないから、納得できなくて。そのころから、「自分は『これが好き』とか『やってみたい』と言ったらあかんのかな」と思っていました。

 

── 学校生活はどうでしたか。

 

藪本さん:小学校に入学するとき、祖父が中心になって、先生たちに「この子の見た目には触れないでほしい」とお願いに行ったそうです。そのおかげで、学校で何か言われることはありませんでした。その代わり、みんなとはなんとなく距離を感じていました。腫れ物に触るように、気を使って慎重に私に接してくれているのがわかるんです。

 

相手のことを知りたいと思ったときに、「どうしてそんな髪の色なの?」と気になることを聞かないまま仲よくなるのは、私には難しいのではないかと感じていて。祖父なりに私を守ろうとしてくれた気持ちはわかるのですが、小学校でも中学校でも、過ごしづらさを感じていました。「このまま大人になって大丈夫かな」という不安もありました。

 

もちろん、当事者の方によってはアルビノのことに触れられないほうが心の平安が保たれる人もいるので、一概には言えませんが、私の場合はオープンにして、お互いを知ることで関係を築いていきたいと思うようになりました。

 

それで、高校は同じ中学から進学する人が少ない学校を受験することにしたんです。ちょうど祖父母の家を出て、父とふたりで暮らすことになったタイミングでもあったので、「いったん仕切り直して、自分で自分のことを説明できる環境をつくりたい」と思いました。