「私の知らないお父さんに…」
── SNSを拝見していると、過去にうつ病や摂食障害の経験があったことを明かしていらっしゃいました。それはいつごろのことですか?
erincoさん:4~5年前の、ちょうどコロナ禍の時期です。社会人1年目と父の介護が重なって、慣れないことばかりで不安が大きくなり、精神的につらかったです。父はお酒やタバコが大好きな人で、それが原因かわかりませんが、私が幼いころから何度もがんを発症して手術をしていました。いっぽうで運動も好きで、私が子どものころからずっと一緒にランニングをしていましたが、2020年に足をけがしてから走れなくなり、そのうち歩けなくなって寝たきりになってしまいました。父は当時77歳で、要介護レベル5段階中の4と認定されました。
── 日常生活のほとんどに介助が必要な状態だったんですね。
erincoさん:そうです。主に介護をしていたのは母でしたが、私も仕事から帰宅すると手伝っていました。父は倒れたら起き上がることはもちろん、もう何もできないんですけど、口は達者だから要求が細かくて大変で。介護ってこんなにきついものなのかと思いました。認知症が始まっていたので、同じことを何度も繰り返すし、私が言ったことを理解できなかったりもする。「どんどん私が知ってるお父さんじゃなくなっていく」と感じて、家に帰るのがいやになってしまいました。
── 社会人1年目ですから仕事に慣れるのもたいへんな時期ですしね。
erincoさん:仕事が終わるとすぐにスポーツジムへ行き、何時間も過ごしていました。毎晩トレーニングマシンで10km以上走っていましたね。お風呂もジムで済ませて夜中に帰宅するんですけど、当時はごはんを家で食べたくなかったので、炭酸水を飲んで空腹をしのいで寝るだけの生活でした。変わってしまった父に会いたくないというか、現実を見たくなかったんでしょうね。母には「エリも介護を手伝って」と言われていたけれど、どうしてもできなくて全部母に任せきりでした。母も介護疲れでどんどんやせていって、それを見るのもつらかったです。
── 炭酸水だけだと…erincoさんもやせ細るいっぽうですよね?
erincoさん:もちろん体が栄養を欲するから、その反動でごはんを食べるときには爆発的な量と勢いで食べるようになって、摂食障害が始まりました。運動は現実逃避で、食べるのが快楽という状態になってしまったんです。家に寄りつかなくなってから2〜3か月で体重が10キロ減ったのですが、過食気味になってからは、2~3か月で15キロ増えて、半年間でものすごく体重が増減したんですよ。当時からモデルの仕事もしていたのに、こんな体型でどうするんだろうと落ち込んで、どんどんネガティブな思考になっていきました。同年代で親の介護に悩んでいる人が周囲にいないので、友達にも相談できませんでした。
── 病院には行かれたのですか?
erincoさん:仕事ができる状態ではなくなったので、いったん会社を休んだのですが、ずっと家にいることで逆に摂食障害が悪化してしまって…。母に付き添われて心療内科を受診したら、うつ病と診断されました。そこから3か月、会社を休んだけれど戻るのも申しわけなくなってしまい結局、仕事は辞めました。そのころ、父はがんが再発して手術することになり、2か月入院したんです。当時はコロナ禍で面会もできず、家に帰ってきたら10キロやせてガリガリになっていて。ひげも爪も伸び放題だったので悲しくなり、ひげそりと爪切りをていねいにしました。そこから介護施設へ移り、1か月ほどで亡くなりました。79歳でした。人生において初めて経験した身近な死が、父でした。
── 若くしてお父さんの介護や看取りを経験されたことを振り返って、いま思うことは何ですか?
erincoさん:介護らしい介護もできなかった気がしますが、早いうちに経験できてよかったと思っています。父に対して何かをしてあげたときに「もうつらい」というようなことを何度も言われてカッとなり「そんなにつらいならもうどっか行けばいいじゃん」と言ってしまったことがあるんですよね。そしたら父が「俺は(こんな体に)なりたくてなったわけじゃない」と返したのがものすごく記憶に残っていて。たしかに、介護する側も大変だけど、本人がいちばんつらいんだと気づいてハッとしました。だから、いつかやってくる母の介護には心構えをしておこうと思いました。