名前が知られるまで10年「コンビだから続いた」
── VIP待遇のアーティスト!漫才からあたりまえ体操までずいぶんと幅広い顔をお持ちですが、違ったお笑いのジャンルでヒットを生み出すのはすごいです。
多田さん:2001年に大阪から上京したとき、善しが「東京に来たからには、漫才だけじゃあかん。コント、ものまね、ギャグ、何でもやろう。どれがきっかけになって、チャンスをつかめるかはわからないから」と言ったので、ふたりでどんなお笑いにも挑戦してきました。ふだんからちゃんとネタを作りこんでおいて、ものまねのオーディションがあれば受けに行く。ギャグもしっかり考える。そうするうちに、善しも僕も、お互いが「R-1グランプリ」で決勝に進出できたんです。

── つねに芸を作りこんで、チャンスに備えておく。しかし、芸人という職業は、努力以外にも世の中の変化やさまざまな要素に左右されることがあるのではないでしょうか?長く続け、何度もヒットを飛ばす秘けつはありますか?
多田さん:たしかに芸人は浮き沈みのある仕事です。M-1グランプリも3年連続で準決勝止まり。その後、長くテレビに出られない暗黒時代を過ごしました。でもコンビだから、ここまでやってこられたのだと思います。自分がやめたら、相方の家族や生活はどうなる?と考えたら、やるしかないです。明石家さんまさんもおっしゃっていますが、「芸人はもがいてなんぼ」、もがき続けるのみだと思います。
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「あたりまえ体操」などのネタに加え、COWCOWの代名詞となっているのが多田さんの「伊勢丹柄スーツ」。先日、3代目として65万円もするスーツを新調したことが話題になりましたが、初代は原宿の竹下通りで偶然買った約1万5000円の1着だったそうです。プレゼントで同柄のバッグや小物などをいただくこともあるほか、愛車のサイドミラーなども伊勢丹の紙袋柄で塗装しているんだとか。上京前は伊勢丹すら知らなかった多田さんでしたが、偶然出合ったスーツとここまで人生を共にするとは、不思議な縁ですね。
取材・文/岡本聡子 写真提供/多田健二、吉本興業株式会社