自分以外の「当事者の話が聞きたい」と

── そうやって思えるようになったのはいつごろからですか?
村田さん:ここ2、3年でしょうか。当事者の会を立ち上げて18年。立ち上げた当初はあざについてまだまだ受容できていたわけではないですが、メンバー同士でいろいろな話を重ねながら、自分ひとりではないんだと思ったし、心のうちを吐き出す場所ができたのは大きかったですね。また、一度離婚して再婚後、今の夫と一緒になりましたが、夫はいつも私に寄り添ってくれますし、気持ちが穏やかになり、自分のことを認められるようになった気がするんです。今でも電車には乗りませんが、子ども時代に悩んでいたころに比べたら、かなりラクになったと思います。
── 村田さんのお子さんから顔のあざについて聞かれることはありましたか?
村田さん:子どもたちが私の顔のあざについて聞いてくることがなかったので、自分から説明していました。「生まれつき血管の病気で、顔にあざがあってね」「こんなこと言われたらツラいよ」と言った気持ちも伝えました。子どもたちが小学校低学年のころは「ママの顔、かわいい」と言ってくれていました。子どもたちが私の顔のことでいじめられたら、と心配したこともありましたが、今のところ、そうしたこともないようです。
今は、遠出するとか何かあればお化粧して出掛けますが、普段はスッピンです。今も病気の影響で右頬が左に比べて膨らんでいるし、眉毛も左右非対称に歪んでいます。血管の奇形なのであざはどんどん広がっているし、前はここまで腫れていませんでした。でも、以前はあざが憎くてしょうがなかったんですけど、今となってはあざがあるから私だ、と思っています。
── 村田さんは、2007年8月、顔にあざをもつ当事者の会を立ち上げ、実名、顔出しでメンバーを集いましたが、どんな経緯だったのでしょうか?
村田さん:定時制の高校を5年で卒業して20歳で就職活動をしたときに、全然うまくいかないお話をしましたが、同じようにあざを持っている人はどうやって働いているんだろうって思ったんです。当事者同士の話を聞きたいと思って、それなら実名、顔出しで当事者の会を立ち上げて、みんなと話がしたいと思ったのがきっかけです。「痣とともに生きる会、フクローバー」という当事者の会を発足させて、今年で18年目になりますね。
── 公表して反応はいかがでしたか?
村田さん:すごくよかったです。電話やメール、たくさんの反響をいただいて、ほとんどがポジティブなものでした。当事者の会を発足させたことで同じようにあざで苦しんでいる人たちと思いを共有することができたし、顔出し実名で公表したことで、取材をしていただくようになりました。世間の人に少しでも知ってもらう機会になっていたらといいなと思っています。