夜の京都をバイクで駆け抜けて

── フリースクールは週1回程度だったそうですが、通ってみていかがでしたか?
村田さん:はじめは気乗りしなかったんですけど、1、2か月通ったあたりから徐々に周りの人とボソボソと短い会話をするようになりました。フリースクールには同じような年代の人たちがいて、私のようにいじめに遭った人や、学校に馴染めなかった人など、何かしら悩みを抱えていましたが、少しずつコミュニケーションをとるようになりました。フリースクールのスタッフや大元の支援センターの方々はよくしてくれましたし、スクールのみんなでスケートに行くこともありました。地元の中学とは違って、ここに来れば絶対的な味方がいるって思えたような気がします。
でも、なぜか途中でパッタリ行かなくなってしまったんです。フリースクールにいれば気が紛れることがありましたが、基本的には引きこもりで、自己否定が強かったんです。気持ちが滅入って「こんな顔で生きていくなんて嫌だ!」「ずっと引きこもったまま、みんなに隠れて人生を過ごしたくない!」とドン底な気持ちになって、命を絶とうとしたことは何度もあります。あるとき、そんな感情が爆発して家を飛び出してしまったことがありました。おこづかいを握りしめて行き先も考えずに電車に乗ると、たどり着いた場所が京都でした。
── 当時、和歌山に住んでいたそうですが、気づいたら京都にいたと。
村田さん:どうやって行ったのかハッキリ覚えてないんですけど。夜に京都の駅前をフラフラ歩いていると、同世代くらいで不良っぽい金髪の女の子に「どっから来たん?」と声をかけられました。すこし雑談だけすると、私の事情を探るでもなく、その子がバイクの後ろに乗せてくれたんです。バイクに乗ったのははじめてでしたが、怖さよりもとにかく風が心地よかった…!今まで味わったことがないような爽快感があって、今でもその感覚は覚えています。京都で2、3日彼女や彼女の友達たちと過ごし、いったん自宅に戻りました。
── ご家族は心配されたかと思いますが、いかがでしたか?
村田さん:心配したと思うし、今考えると申し訳なかったとも思いますが、とくに責められた記憶はないですね。あと、京都で出会った彼女が金髪だったので、自分も金髪にしたくなって、スーパーでヘアカラーの液を買って自分で染めたんです。金髪になった私を見て、家族は「すごく似合ってる」って言ってくれました。
その後は、京都で出会った彼女が大阪で遊ぶことが多かったので、私も大阪に行くようになりました。彼女がいろいろ友達を紹介してくれて、世界が急に広がったような気がしたし、早い段階で暴走族に入りました。大阪の友達の家を転々としながら、和歌山の実家にはあまり帰らないまま、中学を卒業することになりました。