常に見守り、支え続けてくれた人たちのおかげで
── 中学卒業後は、定時制の高校に通ったそうですね。
村田さん:昼間はバイトして、夜、学校が終わって21時くらいからバイクで走りに行きましたね。ただ、大阪に来てはじめて自分に仲間という仲間ができて安心したし、楽しかったはずなんですよ。でも、今考えるといつも孤独だったような気がします。当時はそんなこと考えなかったんですが、何か満たされないものがあったのか。
定時制高校は4年間通う予定でしたが、1年留年したので5年通って、20歳で卒業しました。このタイミングで暴走族は卒業。金髪も黒髪に戻して、仕事を探しはじめました。
── 高校を卒業して社会人になりましたが、途中で行かなくなったフリースクールを運営する支援センターの方から、定期的に連絡が来ていたそうですね。
村田さん:私がフリースクールに行かなくなっても、手紙をずっと送ってくれました。あるとき、私が高校生のときにバイクの免許を取ったので、久しぶりに支援センターに顔を出したんです。私の担当だった方に免許証を見せると、「バイクカッコいいな!すごいな!志穂ちゃん、やりたいことやってなんでもできるな」と言ってくれて、すごくうれしかったのは覚えていますね。
── ご家族もずっと村田さんを見守ってくれていたとか。
村田さん:ありがたいですね。私が引きこもったり、金髪にして、暴走族に入ったときも怒るでもなく、ずっと見守ってくれました。顔のあざでさんざんツラい思いをしましたが、家族や支援センターの方々をはじめ、京都や大阪で出会った友達など、常に支え続けてくれた人たちがいて、今の私がいるんだなと思います。
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20歳で高校を卒業した村田さんですが、就職活動でも顔のあざが理由で苦戦が続きます。電車や街中でも配慮のない視線やいやがらせを受けますが、ある時期から気持ちに変化があったそう。再婚をしたここ数年は気持ちが穏やかになったからか、自分を徐々に認めることができるようになってきたそうです。現在はあざをもつ当事者として「痣とともに生きる会、フクローバー」を立ち上げて活動を続けながら、講演活動などにも励んでいます。
取材・文/松永怜 写真提供/村田志穂