借金取りが作ってくれたおにぎりと厚焼き玉子

── マヨネーズを飲んでいたとは…!お父さんが帰ってきたときは、悲しみや不満、ホッとした気持ちなど、さまざまな思いが錯綜したと思います。実際はどんな気持ちだったのでしょうか。

 

りっぺさん:「あ、帰ってきてる」と、事実を事実として受け止めていました。たぶん、ちょっと感情がマヒしていたんだと思います。「これで生活するお金をもらえる」と、考えていたことは覚えています。父は借金もたくさん作っていたようです。私が14~15歳くらいのときは、毎日のように借金取りさんが家に来ていました。強面でサングラスをかけてセカンドバッグを持つ、「見るからに借金取り」の風貌でした。父が家にいるときは「絶対に対応するな」と言われていたのですが、留守の日も連日のように取り立てに来るんです。

 

── まだ中学生だったりっぺさんが借金取りの対応をするのは、とても怖かったと思います。

 

りっぺさん:借金取りさんに「親父はおるか?」って聞かれるから、「いません。家のなか、全部見てたしかめてみてください」って、部屋中をくまなく見てもらいました。借金取りさんも「この家は子どもだけで暮らしているらしい。かなりせっぱつまった、まずい状況だな」と、だんだん察したみたいなんです。

 

ある春の日、「姉ちゃん、ちょっと出かけるぞ」と、外に連れていかれました。どこに行くのかと思ったら、近所にあるすごく桜のきれいな公園で。借金取りさんがおにぎりと卵焼きを手作りしてくれたんです。桜を見ながら食べたあの味は忘れられないです。

 

もし彼がすごい悪人だったら、私を売り飛ばすことにもなりかねない状況だったんじゃないかと思います。それが、わざわざ私のために食事まで作ってくれて。本当にいい借金取りさんで、恵まれました(笑)。私はいつも周囲の人に親切にしてもらってきたんだと思います。

 

── 周囲の人から手を貸してもらうこともあったのですね。

 

りっぺさん:学校の先生や友だちのお母さんも、いろいろと助けてくれました。友だちのお母さんが私のぶんのお弁当を作ってくれる日もあって。家に電気が通っているときは、私もご飯だけは持っていけるんです。でも、おかずまでは用意できないんですよ。そうすると、一緒に食べている友だちが少しずつおかずをわけてくれました。

 

学校などでは祖父母と暮らしていると思われていました。私もそのことを否定せず、黙っていました。なんていうのか、当事者である私が「うちのお父さんっていい加減すぎる」と文句を言うのはいいけど、第三者が自分の親を悪く言われるのはイヤ、という気持ちがあったんです。でも、私が何も言わなくても、たぶん周囲は状況を察してくれていたんじゃないかという気も。私のプライドを傷つけず、さりげなく気を配ってくれた周囲の心づかいはありがたかったです。