2024年に結婚、2025年に第1子を出産したお笑い芸人・こじらせハスキーの橋爪ヨウコさん(40)。実はずっと「一生結婚しない」と宣言していた橋爪さん。しかし、ある出来事がきっかけで結婚に対する価値観が変わっていったそうです。(全3回中の2回)

コロナ禍で変わった結婚への価値観

橋爪ヨウコ
「ぐんま特使」も務める

── 2024年、38歳のときにご結婚されましたが、橋爪さんは10代のころからご両親に「私は一生結婚しない」と宣言されていたそうですね。

 

橋爪さん:私は16歳のときにお笑い芸人になることを志しました。10代のころから私は「二兎追う者は一兎も得ず」ということわざを信条にしていて、「お笑い芸人として成功する」という夢がある限り、結婚を含めお笑い以外のことは諦めたほうがいいと思っていたんです。それを両親や兄にもよく言っていたので、家族や親族は私が結婚するなんて夢にも思わなかったのではないでしょうか。そのせいか、周りも私に結婚しろとうるさく言うことなく、「きっとお笑いをやっているのがいちばん幸せなのだろう」と、温かく見守ってくれていました。もはや何を言っても聞かないだろうと思われていた可能性もありますが(笑)。

 

── 今の旦那さんと出会うまで、結婚したいと思ったことはなかったのでしょうか?

 

橋爪さん:恋愛はこれまでにもしてきましたし、その延長に結婚があるのかもしれないと思ったことはありました。ただ、実際に結婚までいくようなことはなかったですね。

 

実は私が20歳のときに母が病気になったのですが、そのときは母に安心してもらうために私にも支えてくれる人がいることを知らせたくて、そのときつき合っていた彼と結婚しようと思ったんです。ただ、そうなる前に母が亡くなってしまい、その想いも消えてしまいました。むしろ、母がいなくなったことをきっかけに「お笑いで絶対に成功して、ひとりで頑張って生きていく」という気持ちが大きくなった気がします。

 

── そこからどうして今の旦那さんと結婚しようと思ったのですか?

 

橋爪さん:コロナ禍になったことは大きな転機でした。それまでは「お笑いで成功するまではっ…!」と、やりたいことをせずに我慢していましたが、あのころは不可抗力というか、自分の意思とは関係なく、いろいろなことが制限されたじゃないですか。それで、できるうちにやりたいことは我慢せずにやったほうがいいという考え方に変わっていったんです。結婚についても前向きに考えられるようになりました。

 

橋爪ヨウコ
コロナ禍がきっかけでヒマラヤへツーリングすることを決意!

夫とは以前から知り合いで、「この人とは老後も一緒にいそうだな」と思えた唯一の人でした。夫も私のことを大切に思ってくれていたようで、そういうふうに告白してくれました。恋人というよりは最初から家族に近い存在で、結婚を前提とした形でおつき合いすることになり、その後、半年で入籍しました。

 

── 実家のご家族も驚いていたのでは?

 

橋爪さん:そうですね。兄は喜んでいましたが、父は驚きと心配があったようで、「本当にうちの娘で大丈夫なの?うちの娘、少し変わっているよ」と夫に確認していました(笑)。私がずっと結婚しないと思っていた兄夫婦には「そのつもりがあったなら、ベビー用品など捨てずに取っておいたのに」とまで言われました。本当にみんな、心配していたのに、私のことをそっと温かく見守っていてくれたのだと思います。父や兄は私がマメに連絡しないので、YouTubeを見て生存確認をしていたようですし…。

 

実は、家族だけでなく友人や幼なじみにさえ、結婚報告をしていなくて。幼なじみには怒られました。昔から、どちらかといえば私は人さまの恋愛の相談役になることが多く、自分の話をしなかったので、照れくささもあって、結婚の報告のタイミングは難しかったですね。