原因不明の腹痛や突発性難聴に苦しんだ妊娠期間
── 不妊治療中は大変だったことも多かったのではないでしょうか。
橋爪さん:スケジュール管理が大変でしたね。卵子の成長具合に合わせて採卵をするため、急に通院が決まることもありました。私はお笑いだけでなく夜勤の仕事もしていたので、朝まで仕事をしてから病院に行く、なんてこともあって…。
精神的にいちばん参ったのは「女芸人No.1決定戦 THE W」というお笑いコンテストの予選と、卵巣から卵子を取り出す採卵の手術の日が重なってしまったとき。私としては、不妊治療もしたいし、決定戦の予選にも出たい。でも、どちらかを選ぶ必要が出てきてしまった。採卵手術ができるのは1か月に一度だけなので、その月の努力がムダになってしまいます。でもお笑いコンテストは私だけではなく、相方の人生もかかっているわけで…。
実は余計な心配をかけたくなくて、相方のドイツみちこには不妊治療をしていることをずっと言っていませんでした。でも、言わないわけにはいかないなと思って、思いきって相方に不妊治療のことを伝えたんです。そのとき、彼女は「治療を優先していいから頑張れ」とこころよく言ってくれました。
ただ、その時点で手術も決定戦の予選も時間が決定していなかったので、ギリギリまで粘りました。結果的に手術が午前中、予選が13時半からになったため、どちらにも行くことができました。本来であれば手術後は安静にしていないといけないのですが、急いでかけつけたことで、予選はベストパフォーマンスができて、ホッとしました。でも、結果はコンテストの予選も採卵した卵子もどちらもダメで。あのときはダブルパンチでつらかったですね。

── その後も何度か手術に挑戦されます。結果、妊娠がわかったときはどのような心境でしたか?
橋爪さん:うれしい気持ちはもちろんあったのですが、正直、それどころではなかったです。実は妊娠がわかったタイミングと同じころに、突発性難聴と原因不明の腹痛が起きました。そこからしばらく入院することになったのですが、血液検査で妊娠している可能性が高いことがわかったため、薬を飲むこともできず、できる検査も限られてしまい…。その後、妊娠が確定してからも私の体調は優れませんでした。でも、お腹の赤ちゃんが元気なことだけはわかっていたので、それだけが救いでした。
その後、一度は退院できたものの、妊娠6か月くらいのときに、またもやお腹が痛くなり救急車で運ばれて、2週間ほど入院しました。医師の見立てでは「免疫力が下がっていて食べ物に当たったのでは?」という話でしたが、結局、ちゃんとした原因はわかりませんでした。そのときもお腹の赤ちゃんは元気ということだけはわかっていたので、それだけが心の支えでしたね。そのようなことが立て続けにあったので、いつ妊娠を喜んでいいのかわからない状態でした。それで結婚や妊娠の発表も遅れてしまいました。
── 出産は順調でしたか?
橋爪さん:出産も産後も予想外のことばかりでした。まず、自然分娩だったのですが、予定日になっても陣痛が全然来ず…。結局、1週間遅れで破水したのですが、なんせ初めての経験なので、これが破水なのかどうかもよくわからず、病院に連絡したら「すぐに来てください」と言われるといった調子で。病院に到着してからは鈍い痛みの陣痛がずっとありましたが、事前に「痛みがけっこうあっても、なかなか子どもは生まれない」という話を周りの出産経験者から聞いていたので、「この痛みならまだまだ耐えられるはず」と思いこみ、看護師さんに「まだ大丈夫です」と言って、ひとりでじっと耐えていたんです。
そうしたら、24時間くらい経ったころに、私の様子を見に来た看護師さんが、「もう産まれる!」と。そのまますぐに分娩台に連れていかれました。それが運悪く、立ち会い出産予定だった夫が一時的に自宅に帰ってしまったタイミングで(笑)。分娩台で「夫待ち」になったのですが、夫が着くやいなや、練習していたラマーズ法を実践する間もなく、アッという間に赤ちゃんが産まれました。実はその分娩台はその後に計画出産する患者さんの予約が入っていたため、先生たちもなるべく早く産んでほしいと思っていたみたい。すぐに産まれたため、「空気が読める子だ」と言われました(笑)。
出産を経て母への感謝が大きくなった
── 出産後は入院が長引いたそうですね。
橋爪さん:赤ちゃんは元気だったのですが、出産後に私の血圧が150まで上がってしまい、貧血もひどかったので産後ケアも含めて2週間ほど入院しました。しかも出産後に縫った会陰部が2回ほど開いてしまい、それも大変でしたね。
出産を経験して思ったのは、世の中の母親は本当にすごいということ。出産はもちろん、子宮が妊娠前の元の状態に戻ろうとする後陣痛もとてもつらかったので、自分の母親もこのような痛みに耐えていたのかと思うと感謝しかありません。自分が反抗期のころのことを思い出して、申し訳ない気持ちになりました。
── ご両親への感謝の気持ちが大きくなったんですね。
橋爪さん:母は20年前に病気で亡くなっているのですが、感謝や反省を伝えたいと思いましたね。出産後に父から私が生まれたときの母子手帳を送ってもらったのですが、そこには母が残したたくさんのメモが書いてあって。まるで母からの手紙を読んでいるようで、すごくうれしかったです。
…
現在は結婚して子育て中の橋爪さんですが、実は「お笑い芸人として一人前になるまで、結婚は絶対にしない」とずっと決めていました。しかしコロナ禍により、自分の意思とは関係ないところで仕事や生活が制限される経験をしたことで「やれることはやれるときにやってみよう」と価値観が変化。結婚に対しても前向きに考えられるようになったおかげで今の幸せがあるそうです。
取材・文/酒井明子 写真提供/橋爪ヨウコ