「エリート街道」とは違っても
── 才木さんといえば、「筋肉アイドル」としてメディアで活躍されました。きっかけはなんだったのでしょう?
才木さん:筋肉アイドルとして活動を始めたのは、2014年に「WRESTLE-1」の公式サポーター『Cheer♡1』に参加して1年したころです。筋肉って、努力すればしたぶん、ちゃんと結果が出るんですよね。それがすごく楽しくてどんどんハマっていきました。そこから筋肉アイドルとしてメディアで取り上げられるようになって、「筋肉ムキムキでかわいい」という方向性で活動を広げていったんです。
── さらに2016年にはプロレスの世界に飛び込みました。
才木さん:プロレスラーの養成学校をつくるという話が出て、声をかけてもらったんです。ケガの怖さはありましたが「挑戦してみたい」という気持ちのほうが大きくて。半年間みっちりトレーニングしました。同期は10人以上いましたが、デビューできたのは男女合わせて4人だけ。とにかく必死で食らいついていましたね。
その後は、アイドルのようなルックスで個性豊かな選手が集まる「東京女子プロレス」にレギュラー参戦し、チャンピオンベルトも巻きました。さらに自分をもっと試したくて東京女子を卒業して「WRESTLE-1」に所属。その後、別の女子団体でもタイトルを獲得することができました。
引退は2022年5月。2019年の試合で顎を骨折したことが大きな転機になりました。それまで無縁だったプロレスの世界で、まさかここまで夢中になれるとは思ってもみませんでした。デビューから実質3年間レスラーとして誇りをもって過ごせたことは今でも大切な財産です。
── 中高一貫の進学校から、受験した大学すべてに合格し、「受験無双」状態で慶應へ。そんな優秀な娘に、ご両親は安定したエリート街道を思い描いていたかもしれません。ですが、才木さんが踏み出したのは、まったく違う世界。アイドル、そしてプロレスラーという選択に、ご両親は、戸惑われませんでしたか?
才木さん:芸能界に入りたいって言ったとき、母がすごく喜んでくれました。実はかなりのミーハーで、小さいころから芸能界に進んでほしかったみたいです。だから「念願叶った」って感じだったと思います。父は反対するかなと思ってたんですけど、「やりたいことをやればいいし、ほかの人に迷惑かけないならいいんじゃない?」って。SNSもフォローしてくれて、両親はすごく応援してくれています。
母は昔から男子プロレスの大ファン。でも、娘がリングに立つとなると、さすがに心配だったみたいで、最初は試合を見に来られませんでした。それが変わったのは、私が「WRESTLE-1」に所属してからでしたね。男子の試合に混ざって出ることがあったので、母の好きな選手も見られると思ったみたいで…。ちょうど「推し」のレスラーが参戦していたこともあって、試合を見に来るようになりました。
── 多くの挑戦を重ねてこられた才木さん。止まらずに動き続ける、その原動力はどこにあるのでしょう?
才木さん:大学時代は1日3つのバイトを掛け持ちしていたり、体を鍛え始めてからは、ホットヨガで汗を流した後、K-1ジムに行き、その足でプロレス道場へ行ってトレーニングをしていたこともありました。1日が終わるとクタクタ。でも、ベッドに入って「今日も1日精一杯やりきった!」と充実感に包まれながら、眠りにつきたいんです。止まったら死ぬ、みたいな。前世は回遊魚なんじゃないかと思ってます(笑)。
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プロレスの引退と同時に、2022年には「筋肉を卒業する」ことを発表した才木さん。未開拓の「筋肉アイドル」のジャンルを切り開いた一方で、その枠に囚われているような感覚に、当時は息苦しさを覚えていたそうです。そんな彼女が新たな道を歩もうと思った時に思い出したのが、伊集院さんが以前かけてくれた「才木ちゃんのすごいところはね、筋肉じゃなくて、何でも頑張れるところだよ」という言葉でした。筋肉以外を見てくれる人もいると信じて、新たな道へ進む決意をした才木さん。筋肉卒業後も、埼玉県の広報番組や、ビジネス番組に出演するなどタレント活動を続けながら、新しい挑戦を決意できるようになり、2023年には宅地建物取引士試験に見事合格。現在は講師としても活躍をしています。
取材・文/西尾英子 写真提供/才木玲佳