大学合格するも登校は退学届を出しに行った日だけ
── 完治させる方法がないと知ったときはどんな気持ちでしたか?
塚本さん:「こんなに具合が悪いのは病気が原因だったんだ。怠けていると思われずにすむ」とホッとしました。診断がついた日は「やっと原因がわかったね」と家族じゅうが喜び、お赤飯を炊いたほどです。病名がついたことでスタートラインに立てた気持ちでした。学校も診断がついたことで、いろんなサポートをしてくれるようになりました。それまでも心配してくれていたのですが、体調不良の原因が不明な状況では、どんな手助けが必要かわからなかったようです。診断後は担任や教科担当の先生が集まり、私を卒業させるためにどうしたらいいのか会議を開いてくれました。
さいわいなことに、母に車で送ってもらい毎日、登校はしていたから、出席日数はたりていたんです。学校が専用の学習室を用意してくださって、ベッドで横になりながら自習という形で勉強を進め、課題を提出したおかげで単位が取れて、高校を卒業できました。目標通り、大学も推薦で合格できました。国際貿易を学びたいと思っていたので、好きな勉強を学べるとワクワクしていました。
── 国際貿易を学びたいと思ったのはなぜでしょうか?
塚本さん:2005年、愛知県で「愛・地球博」という万博が開催されました。そのとき、あるパビリオンで「小麦は全世界の人に行きわたるだけの生産量がある。でも、流通の過程で偏りが出て、潤っている人とそうでない人が生まれてしまっている」というのを知りました。そのときに「この状況を私が変えてみせる!」となぜか思ったんです。それで進学を考える際も、貿易を学べる大学に進学することにしました。
ところが入学はしたものの、病状が重くて1日も通えなかったんです。入学式さえ出席できず、ずっと休学して通学できないまま4年間が過ぎました。結局、学校に行ったのは退学届を出しにいった日だけでした。