「あきらめたから」できることをだけを見られた
── 大学に通えず、残念な気持ちでいっぱいだったと思います。
塚本さん:やっぱり数年間は、すごく悲しかったです。周囲の友人はキラキラとした学生生活を送って、夢をかなえようとしている。それに比べて私は、体が痛くて重くて思うように動くことさえできない。どんどん遅れをとってしまうって。でも、起き上がれないほど体調が悪くても、「病気が治ったら大学で勉強しよう。夢も絶対にかなえよう」と希望を抱き続けました。そのときの自分の気力や意欲を誇りに思っています。「目標を持っていたら、強い気持ちが芽生える」と、自信がついたんですよね。
それに、ずっと支えてくれた両親への感謝の気持ちが大きくて。母は、具合が悪い私を理解して、何か所も病院を回ってくれ、高校への送迎もしてくれました。私が何かをやりたいと言うと、必ずサポートしてくれるんです。大学も、私がいつか通いたいと思っていることを尊重してくれました。起き上がれないほど体調が悪いのだから、すぐに退学させる方法はあったはずです。でも、私が納得するまで4年間在籍させてくれて、その間、休学のための在籍費用を払ってくれました。

── ご両親はいつも塚本さんのことを考えてくれているのですね。
塚本さん:「明里は病気にならなかったら、いろんなことに挑戦して日本を飛び出していたに違いない」と母は言っています。私は子どものころから好奇心旺盛で、いろんなことに取り組みたいタイプ。今もそれは変わっていません。自分のできることに挑戦して、ご当地タレントとして活動したり、病気について知ってもらう活動をしたりしています。自分から発信することで、いろんな人とつながりができました。
── 病気で体調が悪いなか、どうしてそれほど前向きでいろんなことに挑戦できるのでしょうか?
塚本さん:たぶん、いい意味で「できないものはできない」と、あきらめたからかもしれません。私はずっと頭を持ち上げているとめまいで動けなくなります。長時間歩くのも難しいし、基本的に外出時の移動は寝たままでいられる車いすです。今の自分ができることを大切にしているからだと感じています。
講演のときに必ず話す、私の座右の銘は「できないことの数をかぞえず、今できることの数をかぞえる」です。できないことにとらわれると、「今の自分ができること」まで見失い、ネガティブになってしまう。ほとんど横になったままの生活でも、私はSNSで発信することで、人とつながることができます。自分にできることを大切にしていくと、日々のありがたさに気づき、支えてくれる人たちに感謝の気持ちが生まれます。きっとこれからも、私は新しい挑戦をしていくと思います。楽しく、充実した毎日を送っていきたいです。
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難病の発覚、大学退学など苦しい経験をしながらも人生を前向きにとらえる塚本さん。できないことを捨て、できることに人生を全振りしていきます。麻酔治療で体の痛みやだるさが軽減してきた30歳のときには結婚への憧れを取り戻し、マッチングアプリでパートナー探しを敢行。病気についても理解ある男性に恵まれて結婚を果たし、現在は1児の母として、病気を抱えながらも幸せな暮らしを送っています。
取材・文/齋田多恵 写真提供/塚本明里