「生きたい」と初めて思えたことを真っ先に夫に伝えて
── 自分自身が、自分をいちばん認めてくれる存在なんですね。
丘咲さん:メンタルトレーナーの方は、そのことに気づかせてくれました。当時の私は、すぐには腑に落ちなかったのですが…。「自分なんて生きる価値がない」「自分なんて愛される存在じゃない」と思っていたから、先生にも「そんなこと思えないです」って最初は抵抗したんです。
でも、先生とやりとりする時間を通して、子どものころの自分に「ありがとう」や「ごめんね」を伝えたり、そのときの自分がかけて欲しかった言葉や、今の自分だから伝えられる言葉をかけることを日々重ねていくうちに、「生きてみたい」と思えるようになりました。何日も朝から夜まで何度も繰り返して、「あのとき頑張ってくれたから今、こんなふうにできているよ」って、声をかけ続けました。その時間のなかで、一瞬で「生きたい!」と思えたんです。このパッと光が差したような衝撃は、忘れられない出来事でした。
── そのことを真っ先に伝えたのは、今の旦那さんだったとか。
丘咲さん:そうなんです。私は23歳で結婚し長男を出産しましたが、26歳で離婚したあとはずっとシングルマザーとして生きてきました。今の夫とは40歳を過ぎたころ、税理士の仕事の関係で参加した集まりで出会いました。夫も息子も、私の活動を応援して支えてくれて、とてもありがたいと思っています。
それまでずっと「死にたい」という気持ちしかない状態だったことを夫も知っていて、その日は別の部屋でずっと様子をうかがってくれていました。そんな夫のもとに駆けていって、「ちょっと聞いてよ。私、生きたいって思ったんだけど!」ってすぐに伝えて。そうやって言葉にした瞬間から、自分の気持ちが変わっていったように思います。
── お気持ちがどう変わっていったのか覚えていますか?
丘咲さん:どんなことがあっても、「自分が自分の味方」と思えました。「今、ここにいるだけで自分にはちゃんと価値がある」としっかり感じることができたと思います。「自分は自分のことをちゃんと愛してあげられている」とも感じられて、前向きじゃない自分も全部好きになれたんです。「前向きになれないときもある、前向きでない私も私」とも認められるようになったら、「ネガティブな自分もいるね」と、どんな自分も受け入れられるようになりました。
虐待を受けた心の傷を抱えている人たちのなかには、トラウマ専門の治療を受けることを望んでいる人もいます。私もそれは必要なことだとは思いますが、私自身は一度もつながることはありませんでした。でも、トラウマ治療を受けて回復することがすべてではありません。トラウマ治療以外にも回復の方法はあります。私がメンタルトレーナーの方から学んだこともそうだし、日常のささいな喜びやここちよさを感じられる人との安心できるかかわりのなかでも、回復への道はあると思います。
そういう役割のひとつとして、2年前から私たちの団体で「おならカフェ」を運営しています。共通する痛みや経験を知っている人たちが集まり、おしゃべりをしたり、ごはんを食べたり、ゲームをしたり、本を読んだり… 思い思いに、自由に過ごすことができます。痛みの共通言語が簡単に通じる場で、人とつながり、対話をし、安心や信頼の感覚を取り戻していくことで、回復していくこともあると思っています。実際にそうして回復していく人たちも見てきました。