幼少期から23歳まで続いた壮絶な虐待の後遺症によって、40歳を過ぎてから複雑性PTSDと診断された一般社団法人Onara代表の丘咲つぐみさん。信頼できるメンタルトレーナーや今の夫との出会いによって「生きたい」という意志をもてた丘咲さんが、子育て世代に伝えたいこととは。
※本記事は「虐待」「自殺」に関する描写が出てきます。体調によっては、ご自身の心身に影響を与える可能性がありますので、閲覧する際はご注意ください。
40歳を過ぎるまで誰にも虐待サバイバーと気づかれなかった
── 幼少期から20年以上の長きにわたり、両親からさまざまな虐待を受けてきたそうですね。その影響で40歳をすぎて複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)だと診断された後、メンタルトレーナーの方と出会い、初めて「生きたい」と思えるようになったそうですが、どういった経緯があったのでしょうか。

丘咲さん:私は親から虐待を受けながらも誰からも気づかれず、児童養護施設ともつながることがないまま、40年が過ぎました。人生でいちばんしんどかった生活保護を受けていた時期に、「子どものころから虐待を受けた人間が生き残っても、そのあと誰も助けてくれない、支えになる制度もない」と気づき、その解決に向かうために自分が動いていかないと、という思いに至りました。
入退院を繰り返して働けないといった理由から生活保護を受けた時期に人間不信に陥り、支援も医療も受けない、社会と断絶した生活を選びました。それでも、みずから動きたいという意思をはっきりと持ち、この課題解決のためには、まず自分と子どもの生活基盤を安定させなければと考えたんです。そのために税理士になり、収入の多い税理士法人に転職しました。税理士法人に在籍したままでは多忙すぎて活動できないので、貯金がある程度できたところで退職し、個人税理士事務所の運営が安定しつつあった2018年に任意団体として活動を始め、2022年に一般社団法人Onaraを立ち上げました。いまにつながるすべては、どん底の時期にスタートしたんです。
そうして活動を始めたばかりのころ、経営者の交流会に税理士として参加したのですが、メンタルトレーナーの方とはそのときに出会いました。その方に個人面談をお願いしたのですが、最初に話されたのは自己肯定感の話だったと記憶しています。
まず、「生まれたときに自己肯定感が低い赤ちゃんってひとりもいないよね」というお話があって。たしかに、「今、泣いても大丈夫ですか?」と、泣く前に許可を取るような赤ちゃんなんていないですよね?泣きたいときに泣いて、お腹がすいたらミルクを飲んで、「この人好きだな」って思う人にニコニコ近づいていって。そう言われたら本当にその通りだなって納得したんですけど。
── たしかにそうですね。
丘咲さん:だけど、いろんな経験を積むなかで、うまくいかないことや失敗も経験して、「こんなことを自分がしたからあの人に怒られたんだ」というふうに、自分の考えや行動を否定するようになる。その結果、自己肯定感が一つひとつ取り除かれていくのだそうです。それでは、どうすれば自己肯定感を高められるのかというと、自分が誰かに評価されるのではなくて、「自分を愛する、自分を認める、自分を信じる、自分には価値がある」と、自分に毎日何度も言葉にして伝え続けることで、自分への愛情の言葉で身体中を埋め尽くしていきます。
そうしていくことで、誰かに頼れなくても、いつでも必ず味方になってくれる存在を自分の近くに置いておけるようになります。自分自身を高いところから俯瞰して見ている「もうひとりの自分」がいる状態です。第三者になった自分が、自分のことをいつでも味方でいてくれます。そのいちばんの味方がいてくれるから、他の人にも頼ることができます。なぜなら、誰かに否定されたり裏切られたりするようなことがあっても、必ず守ってくれる存在がつねに一緒にいるから。だからこそ、人に恐れずに頼ったり、助けを求めることができるんです。
虐待に遭った子どもたちって、誰も認めてくれないって思うかもしれません。でも、本当は誰にでもいるんですよね。いつでも自分のことを認めてくれる存在が、自分のいちばん近くに。それはまさしく自分自身なんです。