「お母さんの命なんてどうでもいい」
── 離婚された後はどうされたのでしょうか。
丘咲さん:母子家庭への支援を使って働きながら税理士の資格を取ろうとしていたのですが、私の体調がさらに悪化して、途中で手術のために再び入院しなければならなくなりました。当時は、両親に息子を預けるほかありませんでした。でも、実家から自宅に戻ってきて以来、息子は母に怯え、私の入院時に実家に預けられることを拒絶するようになってしまって。それで、その後は、入院するたびに息子を一時保護所に預けていました。でも、一時保護所へ預けるのも本当に大変でした。児童相談所からも生活保護の担当者からも「実家に預ければいいのに」と言われてしまうんです。
手術と入院のため1年近くを病院で過ごしましたが、当時は手術しても回復が見えず、ほぼ歩くこともできない状態でした。その結果、お金が底をついてしまい、生活保護の受給に至りました。
役所に保護申請をした場合、福祉事務所がまず親族に経済的な援助(扶養)が可能か確認する必要があると言われ、両親には連絡をとらないでほしいと事情を話したのですが、私を担当したケースワーカーは、親の扶養照会を拒むことを許してくれませんでした。ただ、あくまで私の場合で、当時も義務だったかはわかりませんし、ほかのケースワーカーなら違ったかもしれません。とはいえ、私のケースに限らず、虐待された人間の体験談って児童養護施設など社会的養護につながっていないと、本人の語りでしかなくなるんですよね。証拠がないから、「虐待を受けてきたなんて嘘なんじゃないの?」って平気で言われたりもしました。
結局、担当のケースワーカーと両親が面談をすることになったのですが、両親は世間体を気にしているので、いっけん、しっかりした人たちに見えるわけです。しかも、「私たちは扶養する気があるけれど、娘が拒んでいるからできない」というような言い逃れをする。ケースワーカーは「あの両親が虐待をするわけがない」と断言していました。「虐待をされたというのなら、それはあなたに問題があったんだ」と。
そんな状況のなかで私の体調はどんどん悪化し、精神的にも追い込まれるなか、自殺未遂を起こしました。じつは、自殺未遂は、高校生のころから何度も繰り返していたんです。このときは救急隊員の方がまだ幼かった息子も救急車に乗せてくれたものの、そこにケースワーカーが息子を迎えに来て。私に向かって「お母さんの命なんてどうでもいい。それより、子どもをどうにかしないと」と言い放った光景は、今でも忘れられません。
── そんな言葉を直接投げかけられることがあるとは…。
丘咲さん:生活保護の申請の際には、個室に閉じ込められ、警察ドラマの取り調べのような状況のなか、「あなたのような人間に出せるお金なんてないんだよ」と繰り返し言われて。やっと申請を終えて部屋から出ようとしたとき、私はケースワーカーに座っていたパイプ椅子を蹴られ、転んでその場に倒れ込みました。そんな状況でトラウマがいっそう深刻になり、自分からすべての人との関わりを断ち切ってしまったんです。生活保護以外の支援も医療も受けないし、息子を保育園に連れていくこともやめました。
もう誰も何も信じられなくなったのです。誰ひとりともかかわれないと思うほど、すべてが恐怖でした。