世間体を気にする母「虐待は誰にも気づいてもらえなかった」

── 周囲に丘咲さんを気にかけてくれる大人はいなかったのでしょうか。

 

丘咲さん:それが、母は世間体をすごく気にしていたんです。幼稚園のときも小中高のときも、PTAの役員などを積極的に引き受けていました。先生とも仲よくて、しょっちゅう電話で話していたんですよ。だから、学校の先生も気づけなかったんだと思います。

 

母は町内会の役員もしていて、お祭りや地域の行事にも熱心に関わっていました。さすがに家での怒鳴り声は外に漏れていたと思うんですけど、声をかけてくれる人は誰もいなかったですね。

 

幼少期から高校時代までは見た目は普通だったし、日常的に虐待を受けているようには見えなかったと思います。虐待被害に遭っている子たちって、目に見えてわかるところがあるというか、勉強するときに落ち着きがなかったり、まわりと馴染みにくかったり、何らかのサインが表れている場合もあると思いますが、私はそういうサインが出にくいタイプだったようで、誰にも気づかれなくて。「虐待を受けていたんだな」とやっと自覚できたのは30歳近くになってからです。「自分も悪かった…」という感覚は、もっと後まで残っていたと思います。

実体験から「子どもの命や尊厳が守られる社会」のための活動を

── 虐待を受けた経験から、現在はご自身で虐待当事者の方を支援されています。

 

丘咲さん:はい。私は親から虐待を受けながらも誰からも気づかれず、児童養護施設ともつながることがないまま、40年が過ぎました。人生でいちばんしんどかった生活保護を受けていた時期に、「子どものころから虐待を受けた人間が生き残っても、そのあと誰も助けてくれない、支えになる制度もない」と気づき、その解決に向かうために自分が動いていかないと、という思いに至りました。その後、税理士の資格を取り、経済的に安定しつつあった2018年に任意団体として活動を始め、2022年に一般社団法人Onaraを立ち上げました。

 

──「もっと早く人と繋がればよかった」という後悔があったそうですね。

 

丘咲さん:自分自身、カミングアウトしていなかったこともあり、情報が何も入ってきませんでした。どこで当事者とつながれるのかもわからなかったですし、つながる必要性も感じていませんでした。もっと早くに、同じ痛みを知る人とつながりをもてていたら、どんなによかったか…と思います。

 

心身の回復のためには、トラウマ専門の治療は必要なことだとは思いますが、日常のささいな喜びやここちよさを感じられる人との安心できるかかわりのなかでも、回復への道はあると思います。その役割のひとつとして、2年前から「おならカフェ」を運営しています。ここで、共通する痛みや経験を知っている人とつながり、対話をし、安心や信頼の感覚を取り戻していくことで、回復していくこともあると思っています。