幼少期に両親から壮絶な心理的・身体的な虐待に遭った一般社団法人Onara代表の丘咲つぐみさん。現在、同じ境遇に苦しむ人たちを支える活動をしています。10月からは虐待によるトラウマからの回復を描く映画作りのクラウドファンディングを行っている丘咲さんに、子どものころからの体験と、母親への思いを伺いました。
※本記事は「虐待」「自殺」に関する描写が出てきます。体調によっては、ご自身の心身に影響を与える可能性がありますので、閲覧する際はご注意ください。
幼少期から壮絶な虐待を日常的に
── 幼少期から23歳で実家を出るまで、両親の虐待被害に遭い続けたとうかがいました。

丘咲さん:物心ついたころには両親それぞれから虐待を受けていました。私、2、3歳くらいころの記憶がいっさいないんです。記憶が抜け落ちているような感覚で。おそらく4、5歳ごろから、今思うと、もしかしたら命を落としていてもおかしくなかったと感じるくらいに壮絶な虐待を受けるようになったと思います。
幼稚園のころって、「大人になったら何になりたい?」って将来の夢を紙に書いたりしますよね。ほかの女の子はみんな「ケーキ屋さんになりたい」とか「幼稚園の先生になりたい」とか、夢のある話をしていたなかで、私ひとりだけ「いつ死ねますか?」って書くような子どもでした。
ただ、子どものころのことを具体的に話すことで、両親へ非難の声が向けられることは避けたいです。それは何の解決にも繋がらないこと、むしろ、今苦しい状況にいる親たちを追い込む場合があると思うからです。
── 丘咲さんから見て、ご両親はどんな性格だったのでしょうか。
丘咲さん:父は、とても気性の荒い人でした。怒りのスイッチが瞬間的に入るタイプで、たとえば、車を運転しているときに、子どもの私が後部座席に座っていても、お構いなしで別の車の運転手とトラブルを起こしたり。いつ怒りが爆発して何をするかわかりませんでした。そんな父との関係によるストレスを、母はいつも私に向けていました。