誰だって同じ局面が訪れる可能性がある

── 振り返って、当時のお母さんに対してどのように感じていますか。精神的にかなり不安定な状態だったのかなと思ったのですが…。

 

丘咲さん:私もそう思っています。母は戦後すぐに生まれた人なのですが、5人きょうだいの上から2番目の長女で、逆境のなかで育ってきたと思います。子どものころからのトラウマ的な経験を背負いながらの子育てだったのかもしれません。両親とも、トラウマをケアされないどころか、自分で気づけるタイミングすら持てないまま子育てと向かい合っていたとしたら、どんなにか大変だっただろう、といまは思います。

 

丘咲つぐみ
今は「虐待サバイバー」として同じ経験で苦しむ人を支援している

お伝えしたいのは、私が虐待の体験を話すことで、自分の親が責められることは望んでいないし、それは避けたいということです。母のことは憎んで憎んで、そんな日々だったけれど、ようやく少しずつ両親が置かれていた状況を理解でき、いろんなとらえ方ができるようになりました。虐待をしたことは事実としてあるけれど、たくさんのしんどさを抱えながら、それでも、よく私を生む決断をし、放り出すことなく、育ててくれたと思っています。両親に対してあきらめの気持ちはまったくなく、生んでくれたことに心から感謝しています。生んでくれなければ、間違いなく、いまの私はいないので。

 

いまはなにより、虐待しそうな状況にある親たちが窮屈な思いをしたり、追い詰められたりしないような世の中にしたいです。これは決して人ごとではなくて、誰にだって生きていくなかで同じような局面が訪れる可能性はあると思いますから。

 

 

23歳で結婚して家を出た丘咲さんは、両親の虐待から脱することができたようにも思えましたが、ほどなく複雑性PTSDの影響から、結婚相手を父と重ねて見るように。結局離婚し、シングルマザーとして息子とふたり暮らしを始めますが、脊髄障害の影響で自力で起き上がることができなくなり、布団の上で垂れ流しの生活に陥ります。理解のないケースワーカーとの関係に疲れ果て、一時は社会と断絶せざるを得なくなった丘咲さんでしたが、息子さんが119番で救急車を呼び、再び医療と社会につながることができました。幾多の苦難を乗り越えた親子は今も強い信頼関係で結ばれています。

 

取材・文/高梨真紀 写真提供/丘咲つぐみ