『沖縄美少女図鑑』がきっかけでデビュー

── 比嘉さんの芸能界入りのきっかけは沖縄で声をかけていただいたことだったそうですね。

 

比嘉さん:後藤真希さんに憧れて昔からモー娘。に入りたいという漠然とした夢がありました。といっても、ダンスも歌も全然ダメで。キラキラした芸能界を夢見て、沖縄で開催されるオーディションを受け続けていました。高校2年生のとき、沖縄のフリーペーパー『沖縄美少女図鑑』でモデルを募集しているのを見て、「これに載れたらもう後悔ないな」という思いで思い出づくりのために応募しました。

 

そのあと、『沖縄美少女図鑑』の編集長から連絡があってお会いしたら、「ずっとあなたを探してたんだよ」と言われたんです。数か月前に沖縄の伝統芸能であるエイサーのお祭りに参加した際に、フリーペーパーの方から「写真を撮らせてください」と言われたのですが、その場に編集長もいたそうで。てっきり、一緒にいたかわいい先輩目当てで、私はついでだろうと思っていたのですが、編集長はそのあと私のことを探していたと聞きました。

 

10代の比嘉梨乃さん
「沖縄が生んだ美少女」10代のころの比嘉梨乃さん

── 運命の再会ですね。

 

比嘉さん:『沖縄美少女図鑑』の表紙モデルとして起用していただき、その後、ウィルコム沖縄のCMに出演したのがきっかけで事務所に所属することになりました。

 

── 比嘉さんにつけられたキャッチコピーは「永遠の2番手」でした。当時どう思っていましたか。

 

比嘉さん:『沖縄美少女図鑑』の編集長がつけてくれたのですが、オーディションは最終選考まで行くけど落ちるとか、5人でボーリングしても2位だし、2人でボーリングしても2位。いちばんになれない私をみんなに応援してほしいという意味で、愛のあるキャッチコピーをつけてもらいました。人生初のキャッチコピーだったのでうれしかったです。

 

── その後の芸能活動は順調でしたか。

 

比嘉さん:高校を卒業して上京した直後は、レギュラー番組もあって順調に見えたんです。でも次第に仕事が減ってしまい、アルバイトを始めるようになりました。実は、同い年の友達が大学を卒業するタイミングで「もう芸能界は辞めよう」と思っていたんです。みんなが社会人になって安定した収入を得ていく一方で、私はアルバイトをしながら不安定な芸能の仕事を続けていいのだろうか、と悩んでいました。そんなとき、母が「もう少し頑張ってみたら?」と励ましてくれて。あのとき辞めなくて本当によかったと思いますし、もし辞めていたらと行雄ちゃんとも出会えていなかったと思います。

 

── ご結婚後のお仕事はどのように続けていきたいですか。

 

比嘉さん:夫婦の目標は「どっちかが売れる」なんです(笑)。あとはいつか夫婦で共演して一緒の仕事ができたらいいねとも話しています。今はお芝居のほか、MCの仕事もさせてもらっているのですが、ジャンルを決めずいろんなことに挑戦したいです。私の芸能界のスタートは『沖縄美少女図鑑』から始まっているので、いつか沖縄に恩返しをしたいという気持ちも大きいです。沖縄を舞台にした作品にも携わっていきたいですね。

 

 

新婚生活をスタートした比嘉さん。「芸人さんだから帰ってくるのも遅いのかな」という心配はすぐに消えたほど、「いつも速攻で帰ってきます」と笑いながら話してくれました。仕事で夫がスベって落ち込んで帰ってくると、その後、何時間も話を聞いてあげる日があるそう。家事の全般を比嘉さんが担っていても不満が生まれないのは、つねに夫の植野さんが感謝の気持ちを伝えてくれているからだと言います。おふたりの新婚生活は、お互いを大切に想う気持ちで溢れていました。

 

取材・文/内橋明日香 写真提供/比嘉梨乃