結婚後に多額の借金発覚「1回連れて帰っても…」

── そんな事件もありながら、1978年にめでたくご結婚されます。当時、光代さんはまだ20歳とかなり若い年齢でのご結婚だったかと思いますが、どのような新婚生活でしたか?

 

間さん:じつは当時、寛平さんには借金がたくさんあったんですよ。先輩が逃げて借金を肩代わりしたり、借金を返すために借金したりと、まあ、それはそれはいろいろあって、いわゆるヤミ金のようなところからも借りたりしていたんです。私は高校卒業してこういう世界に入り、ほんとに世間知らずというか、そんな危険な借金の世界があるということを全然知らなかったんですよ。

 

── 借金があることを知らずにご結婚されたんですね。

 

間さん:おつき合いしてるとき、何かのきっかけで寛平さんが通帳を持っていないと聞いたことがあって、疑問には思っていたんですよ。でも、素性はわかってるし、変な人じゃないって知ってますから…。でも、結婚してからどんどん借金がわかって(笑)。「借金がどれくらいあるのか全部言いなさい!」と言ったら、もう、ものすごい額あることが判明してびっくり!

 

借金をつくるとか保証人になるということは、それまでの私の人生では経験ありませんでしたし、もう別世界の話なわけです。今振り返っても、本当に考えられないことを数多くされていた人でしたね(笑)。それで、このままではいけないと、お金を私が管理するようになりました。整理してみると、あっちもこっちもお金を返していかないといけないということになって。借金返済の生活が始まりました。

 

── お人好しな寛平さんは、保証人になってしまい多額な借金を負うこともたくさんあったそうですね。

 

間さん:そうですね、あらゆる借金がありました。語弊があるかもしれませんが、当時の芸人さんは「宵越しのお金は残さない」とか、「芸人さんだからネタになるしええやん」というような、今では考えられませんが、そういう風潮があって。私も「芸人さんと結婚したんだからしょうがない」というような、なんだか安易な気持ちがあったかもしれません。

 

── 借金がある状態で寛平さんとご結婚されて、夫婦関係が悪化するような事態にはならなかったんでしょうか? 

 

間さん:借金のせいで別れるということにはなりませんでした。「借金があるなら返せばいいだけだ」という考えでしたね。ただ、「1回別れたほうがいい」という話し合いが両家で持たれたことがありました。

 

寛平さんのご両親とうちの母と私たちの5人で集まりました。寛平さんが「若くして嫁に来てくれたけど、光代がかわいそう過ぎるから、1回連れて帰ってくれてもいいで」って、うちの母に言ってくれたんですけれども。

 

私は寛平さんに「お兄ちゃん、私のこと嫌いになったん?嫌いになったら仕方がないけれど、『借金があるから』という理由では別れたくない」って言いました。嫌いにもなってないのに、お金の問題で連れて帰ってくれと言うのは悲しかったですね。

 

私は小学2年生のときに父を亡くして母と姉と3人で暮らしてきました。結婚したのに借金で私に苦労させることが、寛平さんはうちの母に対して申し訳ないという気持ちだったんだと思います。でも、そのときうちの母が「うちの子は、1000円しかもらえない給料の人やったらその1000円で生活できるように育ててきたから、寛平ちゃん大丈夫やで!」と言ってくれました。私も母に心配かけないように、2人で頑張っていこうと決心しましたね。