吉本新喜劇の元座長であり、現在ゼネラルマネジャーの間寛平さんを長年支えてきた妻・光代さん。20歳で結婚するも、寛平さんに多額の借金があることが発覚。結婚直後から数々の修羅場が訪れたそうで── 。(全4回中の1回)
芸能人の間寛平にはまったく興味がなかった

── 夫である間寛平さんとは吉本新喜劇の先輩と後輩というご関係だったそうですね。まずは馴れ初めを教えていただけますか?
間さん:私が吉本興業に入らせてもらったのは高校生のころ。そのとき、間寛平はすでに吉本新喜劇の座長でした。寛平さんのレギュラー番組に私が一緒に出演させていただくことになったのが最初の出会いです。
当時、私は晴れの日も雨の日も、いつも傘を持ち歩いていたんです。高校が終わって帰宅してから劇団に行くと帰りが遅くなってしまっていたので、防犯というか、痴漢よけにもなるでしょう?そしたら寛平さんに「なんで傘持ってんの?」って聞かれて「危ないからです」と言ったら「家まで送ってあげるわ」と気にかけてくれたんです。
── そのときから光代さんは寛平さんに好意があったのでしょうか?
間さん:いえいえ。座長さんですし、「仕事場での大先輩」という印象でしかありません。当時からすごいスターでしたし、もはや恐れ多い感じでした。それなのに、何度も家まで送ってくれると私に言ってくる。そのたびに断っていました。
その様子を見て、当時の先輩である中山美保姉さんが「みっちゃん、寛平ちゃんは女性問題はなく真面目な子だから、ほんとに心配してくれてるんだと思う。送ってもらったらどう?」って言ってくれて。そんなわけで、家まで送ってもらうようになったんです。
── それからおつき合いへと?
間さん:すぐにおつき合いというわけではなく、ちょっとした事件がありまして(笑)。私、萩本欽一さんのことが大大大好きで、小学校3年生のときからずっとファンだったんです。そういうこともあって、萩本欽一さん一筋ですから、間寛平さんにはまったく興味がなかったんですよ。そんなある日、劇場の控室で歌番組を観ていたら、そこに緊急速報のテロップが流れてきたんです。「萩本欽一に妻がいた!」って。それを見た途端に私、あまりにもショックで、バターンと倒れてしまって。熱も出て、そのまま風疹にかかってしまったんですよ。
── なんと!推しに妻がいたことが判明して、よほどのショックを受けられたんですね。
間さん:そう。あまりのショックに風疹にかかるくらい免疫力が落ちてしまったんでしょうね(笑)。私が倒れてお仕事を休んでいたら、寛平さんが心配して家までお見舞いに来てくれたんです。それがきっかけで、おつき合いすることに。当時、私は大阪市内からちょっと離れたところに住んでいたのでおつき合いが始まってからは寛平さんが車で行き来していました。さらに、そこからまた事件がありまして…。寛平さんが交通事故を起こしたんですよ。大阪市内で単独事故を起こしてしまって。頭にケガを負って自分で病院に行って頭を縫ってもらったそうなんですが、顔が知られているから、どうしたらいいか即座に判断できなかったようで、その足で突然、私の家に来たんです。私も母も驚いて。
話を聞くとまだ会社にも連絡していないうえ、翌朝から仕事が入っていると言うので、私もあわててしまって。会社に伝えないといけないと思い「寛平師匠がケガをしてうちにきてはります。どうしたらいいでしょう?」とマネージャーさんに電話したんです。まだ新喜劇の座員たちも、寛平さんがわが家に出入りしていることを知らないときでした。なので、この1件でマネージャーさんだけが私たちの交際を知るっていう展開になりましたね。