横綱・曙を生んだ名門部屋を31歳で継いだ夫を亡くしたのは2019年12月でした。現役時代は元幕内潮丸として活躍した第13代東関親方の妻・佐野真充さん。闘病中もおかみとして部屋を力強く支えましたが、親方が41歳の若さで逝去し、部屋を閉じた現在はシングルマザーとしてひとり娘を育てています。(全2回中の1回)
そもそも相撲のことすら知らなかった
── 佐野さんが結婚されたとき、親方はまだ現役の力士でした。将来、部屋のおかみになることも当時は想定されていましたか?
佐野さん:いえ。最初は親方や部屋のことはもちろん、そもそも相撲のことすら何も知らなかったんです。縁があって親方と結婚することになりましたが、結婚当時は親方が現役だったこともあり、引退後の話はまったくしていませんでした。
ただ、将来的に部屋を持つとまではいかなくても、相撲協会に残りたいというような話は少し聞いていましたね。親方はそれを実現させるために「まずは何よりも現役中に一生懸命相撲を取って、結果を残さなければいけない」という気持ちだったと思います。
── 親方とはどのように出会われたのですか。
佐野さん:知り合いの方に「朝稽古を見に行かない?」と誘われていたんです。最初は興味がなかったですし、朝が早いということもあって、数回お断りしていました。ただ何度も誘っていただいていたので1度見に行くことになり、食事をする機会もあったんです。そのときにいろいろ気をつかってくれて、親方から話しかけてくれたんですがそこで好意を抱いたというわけではなく。でも、その後、縁があっておつき合いすることになったんです。
── その後、2007年に結婚されました。
佐野さん:親方は、相撲はもちろんのことですが、何に対しても常に誠実に向きあう人で。そんなところに惹かれたんだと思います。この人は私にないものをすべて持っているなって。ふたりともお互いにないものを補うような関係だったので、結婚に至ったのだと思います。
誰もが最初は未経験の状態でスタートするもの

── 親方は2009年夏場所で現役を引退。31歳で東関部屋を継承されました。
佐野さん:部屋の継承と同時に私はおかみになったのですが、年齢が30歳と若かったこともあり、「親方と一緒に頑張ってみよう」と前向きに考えていたんです。もちろん、まったく不安がなかったかといえば嘘になりますが、誰もが最初は未経験の状態でスタートするものだと思うので。とにかくやってみないとわからない、そういうスタンスで向き合っていました。
実はおかみになる前には美容専門学校で講師をしていたんです。「こういう言い方をすると相手に響かない」とか「こういうシチュエーションではこういう言葉がけをしたほうがいい」とか、学生たちとの接し方を通していろいろ学ばせてもらうことが多かったですね。その経験が若い力士たちに接するときにも役に立ったと思います。
── お弟子さんたちも最初は戸惑いがありましたか?
佐野さん:30歳になったばかりでおかみになったのですが、弟子のなかには同い年や年齢が近い力士もいました。私が親方とおつき合いしているときは「関取の彼女」としてみんなで一緒に食事したりもしていたんです。それが突然、私がおかみになったので、お互いにやりづらい部分はあったと思います。私も立場上、ある程度、言わなければいけない部分がありましたし。そういった面ではちょっと苦労しましたね。
── これまでと立場が急に変わると、そうした苦労もありますよね。
佐野さん:でも、互いに年齢を重ねていくうちにその関係性にも慣れてきますし、新弟子も入ってきますからね。ただ、小さな部屋でしたから、そこで大勢で暮らしていると、やはりいろいろ問題が起こるんです。「辞めたい」という弟子が出てきたり、逃げ出してしまったり…。故郷から遠く離れて部屋で稽古に励む弟子たちにとって、おかみは彼らの母親代わりでもありますからね。最初はそのたびに私も落ち込みましたし、どうしたらいいんだろうと考えたりもしました。でもきっとそれは一般社会における組織と一緒だと思いました。
さらにその後は娘の出産と子育て、親方の闘病生活もあったので、目まぐるしい日々でした。相撲部屋のおかみとしての仕事は多岐にわたり、相撲以外のほとんどを担当するので大変でしたけれど、頑張っている弟子たちを支えることは大きなやりがいでしたね。
── 親方はおかみになって悩んだり試行錯誤する佐野さんをどのようにフォローしていたんですか。
佐野さん:親方とおかみとでは立場が異なるので、ときにはぶつかることもありました。もちろん同意することもたくさんありましたが、常にお互いに相談をして、積極的にコミュニケーションを取りながらやっていたとは思いますね。ただ、部屋を継承したばかりの頃は親方の方が実務的にも精神的にも大変だったと思います。