震災後の福島でフェムテックブランドを起ち上げた小林味愛さんは結婚後も子育てしながら働く姿を描けなかったそうです。現在は3児の母となった小林さんの価値観を変えた出来事とは。(全2回中の2回)
「自分に子育ては無理」だと思っていた
── 元国家公務員の小林さんは、福島県の特産品であるあんぽ柿と呼ばれる干し柿を作る際に廃棄される柿の皮を使って、デリケートゾーンのケアに特化したフェムテックブランドを立ち上げました。現在は東京との2拠点生活を送っているそうですね。
小林さん:会社を立ち上げて最初の2年は住民票を福島に移して住んでいました。地元の若い世代が社員として仲間に加わったことと、仕事をしているうちに私が福島で発揮できる価値というのは、地元の外に市場を作って関係性やお客さまを作っていくことだなと思い始めました。

もちろん福島に住みながらできることはたくさんあるのですが、営業や商談を東京で行った方が、会社の価値がもっと大きくなると思い2拠点生活を始めました。
── 現在はお子さんとご主人と暮らしながら福島と東京を行き来しているとのことですが、もともと子育てをしながら働くイメージは持てずにいたと伺いました。
小林さん:そうなんです。国家公務員の同期の夫と25歳で結婚したのですが、夫は子どもが大好きで、つき合っていたころから「野球チームができるくらい子どもがほしい」と言っていました。夫はその後、転職して現在は保育園の運営に携わっています。
いっぽうの私は、結婚後も子どもを育てながら働く自分の姿が描けずにいて。お子さんがいて出世している職場の女性には子育てを手助けしてくれる親の支援がありましたし、そういう方でも夜中の2時、3時にメールが返ってくることがありました。きっと育児や家事が終わったあとに仕事をしているんだろうなって。そういう姿を見ていると、子育てと仕事の両立は自分には無理なことだと思ってしまって、結婚後も子どもをほしいとは思えませんでした。