38歳で亡くなった親友のことを必ず思い出す

── その方は、自分の人生に納得できる形をみつけたように感じます。原さんにとっての「パズルのピース」は、見つかりましたか?
原さん:がんを公表したのは2度目の手術を終えた後で、同じように病気を経験した方々から「実は私も…」とたくさんのメッセージをいただきました。それがきっかけとなり、2011年に婦人科がん経験者の会「よつばの会」を立ち上げ、これまでがむしゃらに活動を続けてきました。
そんななかで、SNSに寄せられた感想のひとつに胸を揺さぶられました。「原さんはもう子どもを産めないかもしれない。でも、彼女は『よつばの会』を一生懸命に育てている。原さんも立派なお母さんだよね」と。その言葉が本当にうれしくて、涙が止まりませんでした。私は、いつも誰かの言葉に救われながら、少しずつ前を向けるようになったんだと思います。
── 子どもを産み育てることだけが母親ではない。「子育て」という言葉の意味を、改めて考えさせられますね。
原さん:物事は考え方次第なんだと気づかされました。よつばの会を通じて出会えた仲間の存在も大きかったですね。みんな大切な存在ですが、なかでも今も強く心に残っている友人がいます。第1回の集まりに参加してくれた女性で、すぐに家族ぐるみでつき合う親友になりました。彼女は再発して抗がん剤を受けながらの生活でしたが、必ず元気になっておばあちゃんになっても一緒に笑っていられると思っていました。でも、彼女は38歳で亡くなったんです。
亡くなる直前、お腹に腹水がたまってつらそうだったのに、「妊婦さん用のジーンズを見つけたの。これでまたズボンが履ける」とうれしそうで、その強さに胸を打たれました。ちょうどそのころ、別の親友が出産をして赤ちゃんの写真を送ってきてくれました。赤ちゃんを抱いて母になる喜びにあふれる彼女と、子どもを望みながらも命の瀬戸際にいる友人。2人の姿が同時に浮かんで、胸が締めつけられました。同じ時代に生まれ、ただ懸命に生きているのに、この違いは何なのだろうと。
それから10年以上経った今でも、子どもを産めなかった自分と向き合うとき、必ず彼女のことを思い出します。