30代で2度のがんを経験し、子宮全摘をした原千晶さん。「子どものいない人生」を受け入れられるのに10年という歳月が掛かったそうですが、「あのひと事にどれだけ救われたかわからない」(全4回中の4回)

「子どものいない人生」に生きる道を失ったけれど

原千晶
がんの啓蒙活動を積極的に行っている原さん

── 2度のがんを経て、子宮を摘出することになった俳優・タレントの原千晶さん。「子どものいない人生」を受け入れるまでに、10年という長い月日がかかったといいます。どんな思いで、その道のりを過ごされてきたのでしょうか。

 

原さん:いちばん苦しかったのは抗がん剤治療の最中でした。手術で子宮を失い、精神的にも肉体的にも究極にきつい半年間が、人生でいちばん病んでいた時期です。「子どもがいない人生」とスマホで検索しては、出てきた記事をひたすら読みふける。でも、文字は追っているのに内容が頭に入ってこないんです。心が深い闇に覆われ、さらに追い打ちをかけるかのように友人たちの出産が続きました。そんなとき、生きる道を見失いかけていた私を救ってくれたのは、年上の友人の言葉でした。

 

── どんなやりとりがあったのでしょうか。

 

原さん:彼女は子どもを持たない生き方を選んだ、ひと回り上の女性です。何か生きるヒントが欲しくて、恥も外聞もなく、思いのたけを話したんです。「もうつらい、この先どうしていけばいいのかわからない」と。

 

すると彼女は、静かに自分の体験を話し始めました。「私は自分の意思で子どもを持たなかったけれど、30、40代のころにはやっぱり産めばよかったのではないかと悩んだ時期があった。でも50代に入って、母親の介護するようになって、ある日、気づいたの。私を産み育ててくれた母が、まるで自分の娘みたいに思えてきて、『お母さんが私に母親役をさせてくれているんだな』と。そう思ったら、なんだか愛おしくなっちゃって。出産や子育てを放棄したことで欠けているものがあると思ってきたけれど、母の介護を通じて報われた気がする」と。

 

そして私にこう言ってくれたんです。「人間って生きていると、あれがない、これがないと思ってしまうもの。千晶ちゃんは今、人生のどん底にいるのかもしれない。子どもが産めないことで、パズルのピースが欠けてしまったように感じるものかもしれないけれど、必ずそのピースを埋める『何か』が現れる。絶対にそういう日が来るから。それが何なのか、私もすごく楽しみ」。目からうろこが落ちる思いでした。あのひと言にどれだけ救われたかわかりません。