「結婚とがん」を同時に伝えられた彼の両親は

原千晶
婦人科系のがんを患った人が集う「よつばの会」にて話をする場をもうけて

── 原さんの深い葛藤が伝わります。それでも、彼との未来を手放すことを考えた瞬間もあったのでしょうか。

 

原さん:そのほうがいいのかなと思いましたね。でも、本音では「離れないでほしい」と、すがりつきたい気持ちでした。ご家族のことを考えると、胸が痛みました。彼自身は私を受け入れるといってくれたけれど、ご両親は果たしてどう思うだろうか。これから正式にご挨拶に行き、結婚の許しを得る段階だったんです。きっと孫の顔も見たいと思っているはず。私たち2人の気持ちは揺るがなくても、その思いを考えると、やるせなくて、胸が締めつけられるようでした。

 

── 義理のご両親には、どのように事実を伝えられたのでしょうか。

 

原さん:本当は2010年1月に彼のご実家にご挨拶に行く予定でしたが、2009年末にがんが発覚したので、急きょ「仕事が入ってしまった」と嘘をついて延期してもらいました。抗がん剤治療が始まったころ、彼が実家へ戻って事情を話すことになったんです。当初、「田舎の人間だし、長男という立場もあって結婚を反対されるのではないか」と心配していたようです。

 

でも、ご両親の反応は、まったく違うものでした。お義父さんは「お前が結婚すると覚悟を決めたのなら、それを一生貫かないとダメだぞ。気持ちが変わったり、彼女を裏切るようなことをしたら、この家の敷居は二度とまたがせない」と言ってくれたのだそうです。お義母さんも「とにかく千晶さんが元気になって、1日も早く健康を取り戻すことがいちばん大事だから」と声をかけてくれたと聞きました。

 

── ご両親のその言葉を、原さんはどんなふうに受け止めましたか?

 

原さん:私はちょうど抗がん剤治療中で、点滴を受けている最中でした。彼は戻ってくるなり、心臓をバクバクさせながら待っていた私に両親とのやりとりを淡々と話し始めました。その話を聞いて、私は嗚咽するほど泣いてしまいました。ありがたさと申し訳なさが入り混じり、込み上げる感情を抑えきれなかったのです。しかも、その時点で私は、ご両親に一度も会ったことがありません。交流もなく、話したこともない私に対し、こんなにも温かく受け入れてくれた。その事実に心が震えました。

 

ただ、じつはこの話には後日談があります。当時、お義母さんには複雑な思いもあったことを昨年はじめて知りました。彼が私と結婚したいといったとき、お義父さんは「覚悟を貫け」と背中を押す姿勢だったけれど、お義母さんはもう泣くことしかできず、「なんでこんなことになったんだろう、とにかく千晶さんが無事でありますように」とおっしゃっていたそうです。でも、いざ結婚となったときに、お義母さんは不安になってしまったらしいんです。「もし千晶さんに何かあって、息子が深い悲しみを背負うことになってしまったら…」と。