「年明けには彼のご両親に結婚の挨拶をする予定だった」。結婚を決めた直後に2度目のがんが発覚した原千晶さん。子宮を全摘し、子どもが望めない体になった状態で彼の両親に結婚の話をすると── 。(全4回中の3回)
結婚を決めた矢先に子宮全摘が決まった

── 2度のがん闘病、そして子宮の摘出という重い現実を乗り越えてきた俳優・タレントの原千晶さん。順風満帆に見えた人生は、30代で突きつけられた病によって大きく揺らぎます。しかし、その隣には常にかけがえのないパートナーの存在がありました。2回目のがんが見つかった当時、現在のご主人とは、すでに交際されていたそうですね。最初に病気のことを伝えたとき、どんな反応でしたか?
原さん:30歳のとき、子宮頸がんが見つかり、子宮を残す手術を受けました。本来なら再発を防ぐために定期的な検診が必要でしたが、「もう大丈夫だろう」と安心してしまい、次第に通わなくなっていたんです。今思えば、それが自分にとって大きな甘さであり、強い後悔として残っています。
彼と出会ったのは、ちょうどそんな時期。1歳年上のテレビ制作会社のプロデューサーで、ドラマの現場で知り合いました。交際を始めた当初は、病気のことをなかなか話せませんでした。
ですが、つき合って半年ほど経ったころ、「じつは…」と打ち明けると、とても驚いていました。「今、病院に通っている様子がないけど、どうして?」と聞かれ、ドキッとしましたが、「また症状が出たら行くことになっているから」と軽く流してごまかしてしまいました。
ところが、結婚を意識し始めた矢先の2009年末、子宮頸がんの再発と子宮体がんの併発に加え、リンパ節への転移が発覚したんです。彼はすごくショックを受けていましたが、すぐに「絶対に治そう」、そして結婚についても「親には僕から話すから大丈夫」と迷いなく言ってくれたんです。
── 彼の言葉はまっすぐで迷いのないものだったと。ですが、原さんのなかには、すぐには受け止めきれない思いもあったのでは?
原さん:もちろんありました。手術で子宮をとることになると、私はもう子どもを産めなくなります。そうすると、彼は自分の子どもを持つことがなくなるかもしれない。それがずっと心に引っかかっていて、どうすればいいのか悩みました。子どもを持つか持たないかは、人生を大きく左右する決断です。もし「結婚は辞めよう」と言われたり、少しでも顔が曇ったりしたら、私はもう引くしかない。しかも長男なので、ご両親への申し訳なさもありました。それでも彼は「そんなことは二の次、三の次。今いちばん大事なのは、1日も早く正しい治療を受けて元気になることだよ。それ以外のことは、後から考えればいい」と言ってくれた。その言葉に涙が止まりませんでした。
ただ、それと同時に申し訳なさと自責の念に押しつぶされそうになりました。検診に行かなかった自分の甘さ、病気にきちんと向き合わなかった責任、そしてこれから家族になろうとしている彼やご両親を巻き込み、苦しめてしまった。彼が冷静に支えてくれたからこそ、なんとか踏みとどまれたのだと思います。