「もう無理、治療を辞めさせて…」

原千晶
婦人科のがんを患った人が集う「よつばの会」としてイベントに出店した際の様子

── 「病気の自分を認めたくない」という気持ちが強かったのですね。

 

原さん:完全にそうでしたね。自分のなかでは「このままがんから逃げきれる」というもくろみでしたが、そううまくはいきませんでした。35歳になったころ、2度目のがんが発覚したんです。すでに3年近く病院に行っていませんでした。でも、生理が重くなり、水のようなおりものが断続的に出るなど、気になる症状が出てきて「これはおかしいぞ」と。2009年12月に、人生で経験したことのない激痛を経験し、慌てて病院に行ったら「すでにがんが進行しています。このまま放っておいたら命にかかわります」と言われました。自業自得です。病気から逃げていた自分の弱さが原因だと痛感しました。もうがんからは逃げられない。命を最優先に考え、子宮を全摘しました。

 

── そして始まった抗がん剤治療。副作用の影響は、想像以上に過酷だったそうですね。

 

原さん:抗がん剤は3週間ごとに6回行うのですが、回を追うごとに蓄積して、副作用はどんどん重くなっていきました。2週間くらいたったころ、まず髪が抜けはじめたんです。朝、シャワーのときに、一気にごっそり抜け落ち、衝撃でした。母にバリカンを買ってきてもらい、自分でベリーショートに刈りました。私の場合、1クールごとにメインとなる副作用の症状が違っていて、最初は脱毛、その次は全身に電流を流されているような強烈なしびれに襲われました。じっとしていてもおさまらない感覚で、夜も眠れないほどでした。さらに味覚障害。何を食べても砂を食べているような味が口の中に広がるのがつらかったですね。その後も便秘や下痢を繰り返したり、爪や肌が黒く変色したり。副作用として挙げられるものは、ほとんど経験したと思います。

 

── 治療を続けるなかで、心が折れそうになる瞬間もあったのでは?

 

原さん:そうでしたね。4クール目で本気でやめたくなり、治療の前日に「もう無理。やめさせてほしい」と夫(当時は彼)に泣きながら訴えたことがあります。主治医と相談して薬の量を調整しながらなんとか治療を乗りきることができました。

 

── 人前に出るお仕事ですから、外見が変化していくことにも葛藤が大きかったのではないでしょうか。どんなふうに受け止めていましたか。

 

原さん:髪は「また生えるからいいや」と割りきってウィッグ生活を楽しむ気持ちが持てましたが、抗がん剤の副作用による強いむくみで、顔も体も風船のようにパンパンに膨らんでしまったのが本当にきつかったですね。鏡を見るのが嫌でした。

 

治療中、月2回のショッピング番組に出ていて、私にとってはそれが心の支えにもなっていました。経済的な面でも助けられましたし、何より治療中にカメラの前に立つことが、生きる気力にもつながっていました。まさに私にとって命綱のような仕事だったんです。でもすごく太ってしまったし、よく見ればカツラをかぶっているのも明らか。眉毛もまつ毛もなかったので、つけまつ毛などで必死にごまかしていました。でも、インターネットの掲示板の「太ったね」「別人みたい」「なんかおかしい」といった書き込みを見て、「やっぱり誰の目から見てもおかしいんだ」とショックでした。