がんを公表する人が少なかった時代に
── その後、がんに罹患されたことを記者会見で明かされました。当時は公表しない芸能人が多いなか、なぜ公表しようと決意されたのでしょうか。
原さん:隠しきれなくなったからです。外見の変化は明らかでしたし、もうこれ以上は嘘をつきたくないと思ったんです。なので、「ご覧の通り、髪はカツラで眉毛もまだ生えていません。治療の影響で体型も変化しています」と伝えました。公表した瞬間、心がすごくラクになりましたね。
── 会見では、まっすぐな眼差しで自分の言葉で伝えようとされていた姿が印象的でした。公表後の反響について、どんな声が印象に残っていますか?
原さん:驚くほどたくさんの応援が届き、すごくうれしかったですね。ですが、それ以上に驚いたのは「実は私もがんなんです」という女性の方たちからの声でした。
30代で2回も子宮のがんを経験し、周りに同じ境遇の人が誰もいなかったので、「なぜ私だけが…」と卑屈な気持ちを抱いたこともたくさんありました。自分だけが取り残されているように感じて苦しかったけれど、世の中には同じようにトンネルを歩き、いまも病気とたたかっている人がこんなにいるんだなと。不謹慎かもしれませんが、救われたような気持ちになりました。狭い世界だけを見て、自分の殻に閉じこもっていてはいけないと気づいたんです。
その思いに背中を押され、自分も誰かの力になれればと思い、婦人科がん経験者の会「よつばの会」を立ち上げました。経験者同士だからこそ分かち合える気持ちを話したり、治療や生活に関する具体的な情報交換ができる場所を作りたかった。そうしたつながりがあることで、救われることが本当に多いんです。
病気になったことで、人生が止まってしまったように感じた時期もありました。でも、誰かの言葉に救われ、自分も誰かの力になりたいと思えた。その思いが、いまの活動の原点になっています。
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2度のがんを経験した原さんですが、2回目のがんが発覚したのは結婚が決まった矢先のことでした。子宮全摘が決まった直後、彼の両親に「結婚とがん」を伝えてから今年で15年目。当時は結婚と治療を応援してくれてた義父母でしたが、義母は「もし千晶さんに何かあったら息子が深い悲しみを背負うことになる」と、複雑な思いがあったことを原さんは昨年になって初めて知ったそうです。そんな義母の息子を思う気持ちを知って、改めて胸を打たれたと明かしてくれました。
取材・文/西尾英子 写真提供/原千晶