「たまたま受診日を忘れたのをきっかけに、自分に都合よく解釈をし、通院をやめた。これが私の最大の後悔です」。30代で2度がんに罹患した原千晶さんは1度目のがん治療の後に、自己判断で通院をやめてしまいます。その結果── 。(全4回中の2回)

異変が出たら受診すればいいと思っていた

原千晶
現在は婦人科系のがんを患った人が集う「よつばの会」を運営している原千晶さん

── 30代で2度の子宮がんを経験した俳優・タレントの原千晶さん。デビュー以来、順風満帆なキャリアを歩んできた原さんでしたが、心身のバランスを崩し、2003年から1年間、芸能活動を休止されました。最初のがんが発覚したのは、活動を再開した直後の2005年はじめの出来事だったそうですね。

 

原さん:はい。1年間の休業中、無収入だったことが思いのほかこたえました。ゆっくり休んだことで心が癒えて、前向きになってきたこともあり、「もう一度頑張りたいです」と事務所と今後について話していた矢先の出来事でした。

 

── 最初に病院を受診されたきっかけはなんだったのでしょうか。

 

原さん:もともと昔から生理のトラブルが多く、生理痛が重いほうだったのですが、いつもと違うと感じるほどのお腹の痛みや不正出血があり、おりものにも異変がありました。診察で「子宮の入り口にできものがある」と言われ、病理検査をしたところ、がんが判明しました。まさか30歳で自分ががんになるなんて思わなかったので、すごくびっくりしましたが、それ以上に母が動揺していて。「どうしよう」と申し訳なく感じたことを覚えています。

 

お医者さんからは、再発や転移のリスクを下げるために子宮の全摘手術と提案されましたが、「そこまでしなければいけないの?」と受け入れられなくて。当時は仕事も頭打ちで八方塞がりの状態。実は、その少し前に芸能活動を一度休んでいて、復帰後も仕事の流れが思うようにつかめない時期でした。それなのに、子宮をとって子どもまで産めなくなってしまったら救いがない。せめてお母さんになれる可能性だけは残しておきたいと思ってしまったんです。結果的に、円錐切除術で子宮を温存しましたが、今振り返れば、それが大きな間違いでした。

 

── その後、2年間は毎月通院されていましたが、次第に足が遠のいてしまったそうですね。どんな思いがあったのでしょうか?

 

原さん:毎月病院に通うたび、「自分はがんなんだ」ということを突きつけられるようで怖かったんです。いつまで「がん」を背負って生きていかなければならないんだろうと重苦しくて。あるとき、たまたま受診日を忘れたのを機に「異変が出たら行けばいい」と都合よく解釈してしまったんです。医師は1度も「もう大丈夫」とは言っていないのに。これが私の最大の後悔です。