転校して、学校生活や芸能活動は順調に思えた

── その後、別の学校で再スタートをきりました。新しい環境での学生生活はいかがでしたか?
原さん:定時制やフリースクールも考えましたが、最終的には全日制の私立女子校に入り直しました。「どんな形でもいいから、また学校に通って友達を作ってほしい」と母は願っていたので、すごく喜んでくれましたね。
前の高校で出席日数が足りず進級できなかったため、再入学した新しい学校では、自分より年下の子たちと同級生になりました。最初は年下の子たちと同級生になることに抵抗がありましたが、2年生のときに流行に敏感な子たちと仲良くなって、そこから一気に世界が広がりました。当時は、コギャルブームでルーズソックスが流行っていて、雑誌の読者モデルに載るのがステータスだった時代。私も遅れまいと、必死にコギャル系ファッションを楽しんでいました。学校で禁止されていたパーマをかけて三つ編みで隠して登校したり、校門を出た瞬間にルーズソックスに履き替えたり、アルバイトをしたり…という程度のかわいいものでしたけれど(笑)。放課後は、渋谷のセンター街や池袋の繁華街に繰り出して、友達とただおしゃべりしているだけで、すごく楽しくて。毎日がアッという間でした。
── 芸能界に興味を持ったきっかけは、読者モデルだったそうですね。
原さん:高校を卒業したころ、たまたま雑誌『Fine』の編集部の人に声をかけられて撮影に参加したんです。憧れだった歌手のhitomiさんと一緒に撮影できて、すごく刺激的な体験でした。そこからときどき、読者モデルとして誌面に参加させていただくようになったのですが、芸能事務所に所属したほうがいいらしいと聞き、オーディション雑誌を見ながら、目についた事務所に片っ端から履歴書を送りました。すると、ある事務所から「会いに来てください」と連絡をいただき、所属が決まったんです。その後、クラリオンガールやビール会社、東レやユニチカなど、企業のキャンペーンガールのオーディションを渡り歩いていたなかで、たまたまクラリオンガールに選ばれました。
── クラリオンガールは、俳優やタレントの登竜門とも呼ばれる存在でした。
原さん:ただ、当時の私はその意味をよくわかっていなくて。レースクイーンや同世代の雑誌モデルのほうが身近でしたし、興味がありました。キャンペーンガールって、もっと大人の女性や女優さんがなるものだと思っていたので「なんで私なんだろう?」と。
クラリオンガールの活動終了後、渡辺プロダクションに移籍したのをきっかけに、バラエティに挑戦することになりました。そのなかでTBSテレビ『ワンダフル』の司会のお話をいただきました。タレント活動を始めて2、3年が経ったころですね。出演者やスタッフさんに同世代が多かったので、友達みたいな感覚で楽しい現場でした。収録が終わると、みんなで朝まで飲むこともしょっちゅう。今でも『ワンダフル』のみなさんとは、毎年同窓会を開くくらい仲がいいんです。