心の限界「休んでいい」ことすら気づけなかった
── 順調に見えた芸能活動のなかでも、思いがけず立ち止まる時期がありました。2003年には、芸能活動を1年間休止されています。どんな心境の変化があったのでしょうか?
原さん:『ワンダフル』で司会をしていたころは、ドラマにも出演させていただくなど、仕事がいちばん忙しかった時期でした。そんななか、番組改編のタイミングで、司会を交代することになりました。芸能の世界ではつねに起こりうることだと頭ではわかっていましたが、思い入れの強い番組だったので、心にぽっかり穴があいたような感覚がありました。「私はもう必要とされていないのかな」と考えて落ち込んでしまい、仕事への意欲がいっきに削がれてしまったんです。今思えば、あのころの私は、精神的にすごくもろかったんだと思います。
── 真正面から物事を受け止める真面目さゆえに、よけいに深く傷ついてしまったのかもしれませんね。それまでが順調なキャリアだっただけに、挫折ととらえてしまったのでしょうか。
原さん:そうかもしれません。なんとか気持ちを奮い立たせようと、事務所がたくさん仕事を入れてくれるのですが、すでに気持ちが折れかけていた私には、逆に重荷になってしまって…。そんな状態で3、4年ほど踏ん張っていましたが、仕事の量がだんだん減っていき、事務所が懸命に支えてくれている状態。自分のなかで「私はもう終わった…」と感じていました。
── 心が限界に近づいていたのですね。
原さん:事務所に、「もうやっていく自信がない。やめたいです」と相談したら「まずはとにかくいったん休もう」と言っていただきました。その言葉を聞いて、初めて「ああ、休むという選択肢があったんだ」と気づいたんです。それくらい視野が狭くなっていたのでしょうね。
── 休養中は、どんな風に過ごされていたのでしょうか。
原さん:アロマに興味があったので、学校に通ってインストラクターの資格を取りました。自分なりにやりたいことをしてゆっくりと過ごすうちに、次第に心が元気になっていって。もう一度挑戦してみようかな。そんな気持ちが、自然とわいてきたんです。
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1年間の活動休止を経て復帰した矢先、子宮頸がんが発覚した原さん。35歳では子宮体がんが見つかり、子宮を全摘します。当時はまだ芸能界でがんを公表する人が少なかった時代でしたが、原さんはその後、自身のがんを記者会見で公表することを決意します。以前は「なぜ私だけが…」と卑屈な気持ちを抱いたこともあったそうですが、公表によってたくさんの応援が届き、救われたような気持ちに。この経験が、現在、原さんが活動を続ける婦人科系がん経験者の会「よつばの会」の立ち上げのきっかけになったそうです。
取材・文/西尾英子 写真提供/原千晶