離れて暮らす母や父が要介護状態になったとき、どうするのが理想なのか。答えはひとつではないなか、6年間、遠距離介護をした柴田理恵さんの介護への向き合い方はヒントになるはずです。(全3回中の2回)

介護はプロに任せる「私がするのは…」

── 6年にわたり、富山に住むお母さんの遠距離介護を経験された柴田理恵さん。介護は「どれだけやっても後悔が残る」とよく言われますが、実際に向き合われてどう感じましたか?

 

柴田さん: 正直、何に後悔するのかなって、私にはあまりわからないんです。たいてい親は子どもよりも先に亡くなるものですし、老いや死は誰にも止められません。だからこそ、自分にできる範囲のことをして、あとは見守るしかないと思っています。

 

私にとって介護は、親への最後の「恩返し」でした。ただ、母は富山、私は東京。遠距離での介護でしたから、日常的に身の回りの世話をすることはできません。じゃあ自分にできることはなんだろうと考えたときに、「心のコミュニケーションを増やそう」と決めたんです。これまで言葉にしてこなかった感謝を伝えたり、楽しかった思い出を一緒に振り返ったり。そんな時間を重ねることで「自分の人生は幸せだった」と、母が思ってもらえるようにしたかったんです。

 

── どうしてそうした考えに至ったのでしょう?

 

柴田さん:介護の専門家から聞いた話に衝撃を受けたことがきっかけでした。介護の学校ではまず、「親の介護は自分でしてはいけない。プロに任せなさい」と教わるらしいんです。学校だから親の介護に役立てようと学び始める人もいるのに、その発想を手放そうと言われるなんて驚きました。でも、話を聞いてみると、腑に落ちたんです。

 

私自身の親子関係を振り返っても、お互い気が強くてケンカばかり。親子だからこそ遠慮がなく、言いたいことをそのままぶつけ合って、感情がこじれてしまうこともあります。それなのに、介護まで抱え込んだら、互いに疲弊してしまうのは当然です。

 

柴田理恵
2016年、ワハハ本舗の舞台にて。看板女優として活躍中

だからこそ介護はプロに任せ、子どもは仕事を続けて自分の生活基盤を守ることが大事。介護のために仕事を辞めて経済的に行き詰まったら、それこそ本末転倒ですから。ムリにすべてを抱え込むのではなく、自分のできる範囲で支える。それがお互いにとって健全な形なのだと、納得しました。

 

私の場合、日々のお世話は信頼できるプロにお任せしつつ、富山にいる親戚や教師だった母の教え子の方々など、地域のみなさんに暮らしを支えていただきました。そして、私は東京で仕事を続けながら、時間をやりくりして富山に帰って母と接する。みなさんと連携を取りながら、離れていても自分にできる介護を実践できました。介護の形は、100人いれば100通りあります。誰かが決めた正解はなく、自分たちにあったスタイルを探すことこそが、何よりも大切なのだと知りました。