親と離れ離れで暮らす遠距離介護となると、子どもは何もできない心苦しさや切なさがあるかもしれません。俳優でタレントの柴田理恵さんは富山と東京の遠距離介護のなか、ひとつだけ心に決めて臨んでいました。(全3回中の1回)

父を亡くしひとり暮らしの母が「要介護4」に

── 明るく飾らない人柄で長年にわたり、役者として多くの人に親しまれてきた柴田理恵さん。6年間の遠距離介護を経て、今年1月、最愛のお母さんを95歳で見送られました。介護が始まったのは、富山県でひとり暮らしをしていた88歳のお母さんが、突然、体調を崩して入院されたことがきっかけだったそうですね。

 

柴田さん:2016年に父が亡くなってから、自分で身の回りのことを行っていました。それまで、最も軽い「要支援1」の認定を受けており、食事やトイレはひとりでできていました。 

 

ところがある日、腎臓が細菌に感染して炎症を起こす「腎盂炎」で入院。高熱が続いて敗血症を起こし、寝たきりの状態になったんです。ちょうどそのころ、介護認定の更新があり、結果として、以前は「要支援1」だった母が、介護なしには日常生活を送れない重度の「要介護4」と認定されたのです。あまりにも急な変化に、驚きを隠せませんでした。

 

── それまで大きなご病気をされたことはなかったのでしょうか。

 

柴田さん:いえ、いろいろと病気はしているんです。80歳のころには、血液の病気になり、骨粗鬆症も長く患っていました。それでも、そのたびに乗り越えてきたんです。父がまだ生きていたころだったので、「お父さんを残して死ねない」という気持ちが強かったんじゃないかと思います。

 

ですが、88歳で入院したときは、意識がもうろうとして「このままではダメかもしれない」と覚悟しました。けれど、少しずつ回復して、意識もはっきりしてきたんです。そこで、「何かしたいことはある?」と尋ねたら、「お酒が飲みたい」って答えたんです。その言葉を聞いて、「よし、まだ大丈夫そうだ」と(笑)。

 

「じゃあ、リハビリを頑張って、お正月には家でおせちとお酒を楽しもう」と声をかけると、「わかった」と。そこから一生懸命リハビリに取り組んで、実際にお正月には病院から一時外出の許可をもらって、おせちを食べて、お酒も飲むことができたんです。

 

柴田理恵
2016年、ワハハ本舗の舞台にて。現在も看板女優として活躍中

── ひとり暮らしを目標に、冬の間、リハビリを頑張られたのですね。

 

柴田さん:ひとつ目標が達成したので、「次は何をしたい?」と聞いたら「家に戻って、以前のようにひとりで暮らしたい」と言うんです。そこで、雪が解ける桜のころに家に帰ることを目標に、冬の間は介護施設に入ってリハビリを続けました。そして春、本当に自宅に戻って、ひとり暮らしを再開したんです。そのころには要介護4だった判定も、要介護1まで改善していました。