いまも英語の参考書をスキマ時間に見る習慣が
── 勉強がもともと嫌いだったとのことですが、受験勉強は苦痛ではありませんでしたか?
山田さん:それがおもしろいことに、「勉強ってなんて楽しいんだろう」と思うようになりました。家庭教師をしてくれた東大生の教え方がとても上手で。すべてにおいて僕が学校で習ってきたこととは異なる視点で教えてくれました。問題を解くのがゲームのような感覚でしたね。
たとえば国語の長文読解は「これは宝探しだと思って解いてみましょう」と、言われました。その言葉だけでワクワクしましたね。先生が言うには、問題文の中に、絶対答えが隠されていると。言われてみればその通りなんですよね。著者の言いたいことが表現を変えながら、何度も問題文の中にひそんでいるわけです。

英語にしてもそう。「英語は接続詞探し。接続詞のあとに答えがある。howeverは『しかしながら』という意味の接続詞だから、そのあとに結論がある」と教えてもらいました。数学も「答えから逆算して勉強」と言われました。問題にはある程度パターンがあるから、それを覚えたら解けるようになると。そのためには答えから逆算して、問題のパターンをつかむのが手っ取り早いと。なるほどなあと思いました。
最初のころ、僕はテストを受けるのが苦痛でした。すると彼は「何時間勉強しても、どこにも証拠が残りません。でもテストだけは結果をほめてくれます」と言うんです。たしかに、以前は50点だったものが60点、70点と点数が上がっていくと「こんなにできるようになった」と、達成感があります。自分の努力が目に見えるんですよね。テストを受けるのがだんだん楽しみになっていきました。
── 教え方ひとつで、勉強も楽しくなるものだということが伝わってきます。
山田さん:本当にそのとおりです。これまで僕は、勉強とは先生の話を聞いて「ただ覚える」という、受け身のものだと思っていました。でも、東大生はその最初の発想から違うんです。問題を解くのがこんなにおもしろいんだと感じました。数学の公式や英語の単語は、クイズを解くための武器。勉強で得た武器を装備して、これまで知らなかった世界を冒険するような感覚でした。あんなに苦痛だった勉強がこんなに楽しめるようになるなんて…と、夢中になりました。
ある年のセンター試験では、英語の問題にストーリーを描いた長文があり、解いていこうとしたら感動して、試験中に号泣するほどでした。試験官から「受験番号393番の方、泣いてないで問題を解きなさい」と、言われたのを覚えています。最初のころは長文問題を見るだけでアレルギーが出そうなほどだったのに…と、自分の成長っぷりに感慨深かったです。
東大生いわく「参考書は1冊でいい。その参考書に書いてある文法や単語を全部覚えたら、それだけで勝負できる」と言っていました。だから英語の参考書はボロボロになるまで読みこみました。
参考書に載っていることを一つひとつ吸収していくのが楽しくて。知識を自分のものにするのは、こんなに気持ちがいいんだと知りました。今でも英語の参考書を持ち歩いて、移動時間は勉強しています。 2006年から使っている参考書だから、もう人生の相棒みたいな存在ですね。たぶん一生をかけて学んでいくと思います。模試試験も、最初は2点からスタートでしたが、最終的に900満点中698点までいきました。