志村けんの偉大さを実感「認知症の母が笑顔に」
── 山田さんは体力を温存でき、お母さんは映画を楽しめて、とてもいい時間だったのですね。
山田さん:介護って先がまったく見えません。だから、介護する側があまり思い詰めたり必死になりすぎたりすると、つぶれてしまう恐れがあります。うまくペース配分をして、上手に休みを入れることが必要だと思いました。僕の場合、「せっかく介護という機会を得たんだから、学べることはなんでも学ぼう」という気持ちでいました。母と一緒に今このときを楽しもうとも思ったから、「いかに母を喜ばせるか」というミッションを達成しよう、と考えるようになったんです。
記憶力が薄れていっても、母は先ほどの映画みたいに、おもしろいと感じるものには反応していましたね。たとえば志村けんさんのバラエティ番組で『志村けんのだいじょうぶだぁ』ってありますよね。観ると大爆笑していたんです。やかんが落ちてきたり、おおげさにひっくり返ったりするリアクションなどが楽しかったんでしょうね。志村けんさんは偉大だと感じました。
また、母は加山雄三さんのファンでした。だからテレビに加山さんが映るとじっと見入るんです。加山さんが有名な歌手ということは忘れても、見た目や声が好みだったのかもしれません。だから僕が調子にのってテレビの横で加山さんの歌を歌うと、迷惑そうに手で振り払うしぐさをしていました。記憶力が低下しても、好きな映像に集中したいとか、「邪魔せんといて」といった気持ちはあるんです。そういう姿を見るのも楽しくてね。母のお世話をするなかで、楽しいことはたくさんありました。
それに僕は役者でもあるから、母の相手をするのは演技の練習にもなるな、と思ったんです。
── 演技力を発揮できたと思うときはありましたか?
山田さん:目の前にある食事を母が食べようとしないことがありました。母が「それ、なんや?」と聞くたびに何十回でも「これはシャケやで。おいしそうやろ」などと答えました。毎回、はじめて聞かれたかのように、毎回同じテンションをキープして答えるんです。「さっきも言ったでしょ?」なんて言ったら負けです。
これ、ドラマの演技の練習になるんですよ。ドラマの練習でも、同じセリフを50回くらい言いますからね。母の様子を観察していたから、今の僕は認知症の人の演技も、介護する側の演技もリアルに再現できるようになりました。

とはいえ、母は食べる方法もだんだん忘れていきました。食べるときって、食べ物を箸なりフォークなりで口まで運び、歯で噛みきりますよね。そういったごく当たり前のこともわからなくなっていく。だから料理を並べても、どう食べたらいいのか理解できない。そこで、目の前で料理をひと口サイズに切って、口に入れてあげるんです。魚なんかはほぐしてあげます。「母さんに食べてもらうために、今切ってるよ」なんて言いながらね。
目の前で切ったものを口に入れてあげると、安心して食べられたようです。そうやって、いつも母の気持ちに寄り添うことを心がけました。すると、「僕と一緒だったら安心」と思ってくれたようで、一緒に食事をしてくれるようになったんです。信頼関係を築けたおかげで、おむつを替えるときもスムーズでしたよ。抵抗せず、僕に任せてくれました。やっぱり、いつも怒っている人やあんまり信頼できない人には、身体を触られたくない思いは誰にでもありますよね。