2011年に東京でピン芸人としてデビューしたノビ山本さん。2018年に地元・富山県で開催されたライブに出演したことをきっかけに、2019年7月から「富山県住みます芸人」として活動することを決意します。その活動が軌道にのってきたころ、病が発覚して──。(全3回中の1回)
東京で芸人デビューも結果が出せず地元・富山に戻り
── 最初は東京でお笑い芸人としてデビューされ、ダンビラムーチョやゆにばーすなど、現在活躍中のお笑いコンビと同期だそうですね。

ノビさん:はい。2011年にデビューして、東京にある「ヨシモト∞ホール(現・渋谷よしもと漫才劇場)」でランキングライブに出演していました。勝ち上がるとメディア露出や劇場の出番の機会がたくさんもらえるのですが、全然勝つことができず…。人気もなくて手売りチケットも全然売れずに「バイトが本業」みたいな状態が続いていました。
── 活躍できずにつらい思いをされていたんですね。では、どうして地元に戻ることになったのでしょうか?
ノビさん:2018年に「東京で頑張ってる富山県出身の芸人を集めて富山県でライブをやろう」という企画が立ち上がりました。その時代の「∞ホール」には富山県出身の芸人が少なかったので、ランキングライブの最下層にいた僕にも声がかかって、出演させていただいたんです。そのときは、友だちや家族も見に来てくれて。その後、2019年の年明けに「富山県住みます芸人に興味ありますか?」と事務所から声がかかりました。
周りの芸人に相談したら「キャラクターがわかりやすいし、人当たりもいいからいいんじゃない」と勧められたんです。同じバイト先だった後輩、空気階段の鈴木もぐらにも「ノビさん、絶対やるべきですよ」と言われて。本当に売れていなくて「なにか変えんといけんな」と思っていたときにみんなが背中を押してくれたので、腹をくくれましたね。母にも頭を下げて「ちょっとの間、実家の部屋に住まわせてください」と。それで、2019年7月に地元に帰りました。今もまだ、実家からは出られてないんですけど(笑)。
── 地元での活動はいかがでしたか?
ノビさん:地元のお祭りに呼んでいただいたりして、富山県での初給料は東京にいたときの3万倍でした。まあ、東京では給料を5円程度しかもらっていなかっただけなんですけど…。そこからすぐにコロナが始まって。お祭りとかもなくなって、バイト生活に逆戻りしてしまいました。でも、温泉やサウナが好きで「温泉ソムリエ」の資格を持っていたので、コロナ禍でもなんとかやっていけました。「密」にならずに無言で楽しめる温泉やサウナが流行り、テレビのリポーターなどで呼んでいただけるようになったんです。それ以来、富山県では「温泉の人」「サウナの人」として少しずつ知ってもらえるようになりました。