「だったら今結婚してもいいじゃん」

福島善成
お子さんとお揃いのTシャツで

── 福島さんは、いわゆる売れない時期に奥さんと出会われてご結婚されていますよね。

 

福島さん:はい。当時、芸人仲間たちとよくコンパに行っていたんです。とにかく誰かを笑わせたくて、コンパの席でも女性を笑わせたい一心でした。そんななか、今の奥さんと出会いました。奥さんは当時から栄養士をしていて、すごくまじめな女性でした。芸人に興味がないし、共通点も接点もなかったんですけど、とても穏やかで、でも芯が強い女性でした。そういうところに惹かれて、つき合い始めたんです。

 

── そこから、どのようにご結婚することになったんですか?

 

福島さん:つき合って2年くらい経ったころだったと思います。奥さんが「私たち結婚しないの?」って聞いてきたんです。当時、僕は全然売れていなかったし、生活もできない状態だったので「3年後に売れてから結婚しよう」って言いました。そしたら奥さんに「3年後に売れてなかったら、結婚しないってこと?」って聞かれたんです。それで僕が「売れてなくても結婚しようか」と答えたら、「だったら、今でもいいじゃん」って言われまして(笑)。

 

それで、29歳のときに、まったくの無名でお金もない状態のまま結婚しました。それからわりとすぐに、1人目の子どもが生まれましたね。

 

── 逆プロポーズのような形ですね!

 

福島さん:奥さんがなんで僕とつき合って、結婚してくれたのかは今でも謎です。本人は後悔してると思いますよ(笑)。だから当時は、感謝の気持ちを込めて、奥さんを1日1回笑わせることにしていました。奥さんが笑うと「笑った!僕と結婚してよかったでしょ」って言い聞かせたりしていました。ただ、本当にお金はなかったんです。2年後に2人目が生まれました。奥さんは「1人も2人も、苦しいのは変わらないから」って言ってましたね。

「見切り品の見切り品」を買う生活だった

── ご結婚されてから、生活は変わりましたか?

 

福島さん:3年後に売れたら結婚しようと言っていたのに、3年どころか20年くらい、まったく売れませんでした。いちばんしんどかったのは、35、36歳のころでしたね。お金がなさすぎて、冗談抜きで月に50公演くらいお笑いの舞台に出ていたんです。1日3公演、舞台に立つ日もありました。それでも給料は、大学生の初任給くらいだったと思います。

 

── お子さんが2人いて、大変でしたね。

 

福島さん:それだけ働いてもお金がなかったので、家族の食費は週1000円くらいのときもありました。奥さんは化粧品を買うお金もなかったので、自分で生活用品を作っていました。米のとぎ汁で化粧水を作ったり、お酢でリンスを作ったり、生活に必要なものは自然の材料を使っていましたね。まさにナチュラルな生活でした。

 

── 4人家族で食費が週1000円というのはかなり厳しいと思うのですが、どのようにやりくりされていたんですか?

 

福島さん:まず、僕は芸人の先輩にごちそうになったり、劇場でもらえるお弁当をもらって帰ったりして、お金をかけないようにしていました。奥さんは、2人の子どもにちゃんとしたものを食べさせようと、激安スーパーの割引時間に買い物に行っていました。「見切り品がさらに見切り品、またさらに見切り品」になるまで粘って食材を購入していましたね。

 

── 見切り品の見切り品ですか?

 

福島さん:ほぼ、腐る寸前の状態だったと思います。でも、奥さんは栄養士で料理がすごく得意なので、その日に買えたもので、おいしくて栄養のあるものを子どもたちのために作ってくれていたんです。週1000円くらいの食費でやりくりしていました。本当にすごいことだと思います。奥さんは裁縫も得意だったので、使い古した下着をリメイクして、子どものよだれかけも作っていました。

 

── 奥さん、すごすぎます…。

 

福島さん:当時、唯一の外食はくら寿司でした。でも、お金がないので当時100円だったうどんを、まずはみんなで頼むんです。うどんでお腹をいっぱいにさせてから、お寿司を食べるようにしていました。だから家族4人で行っても、1500円もいかなかったですね。とにかく「まずはうどんを食べよう」と言っていました。そのせいで、息子は大きくなるまでくら寿司を「うどん屋さん」だと思っていたようです(笑)。