ダレノガレ明美、船越英一郎、貴乃花親方——。特徴をとらえたモノマネで人気を博した、お笑いコンビ・ガリットチュウの福島善成さん。しかし、その裏には20年間という長すぎる下積み生活がありました。妻と2人の子どもを抱えながら、それでも芸人を諦めなかった理由とは。(全3回中の1回)

中学を卒業したらすぐにでも芸人になりたかった

福島善成
人を笑わせるのがずっと大好きだったという福島さん

── 福島さんは、いつから芸人になろうと思われていたのですか?

 

福島さん:小学生のころから、芸人になりたいとずっと思っていました。人の笑顔がすごく好きで、漫才で人を笑わせるって最高だなって思ってたんです。中学生になって、ダウンタウンさんを見て「中学を卒業したらすぐに芸人になろう」と思いました。

 

── その後、どうされたのですか?

 

福島さん:両親に「高校だけは出てくれ」って言われて、高校に進学しました。でも、僕の出身は熊本の天草で、すごく田舎なんです。芸人になりたいと思っても情報がないし、当時は今みたいにネットやスマホもない時代です。だから、どうやって芸人になればいいのかも全然わかりませんでした。そんなとき偶然、読んでいた『Hot-Dog PRESS(ホットドッグ・プレス)』という雑誌に、吉本興業・元会長の大崎洋さんのインタビューが載っていたんです。その大崎さんの写真にポスターが写り込んでいて、そこに「東京NSC2期生募集」って書いてあったんですよ。「これだ!」って思いましたね。

最後の一桁がわからない番号に電話をかけ続け

── 募集要項そのものではなくて、写真に写り込んでいた募集要項を見つけたんですね。

 

福島さん:そうです(笑)。そこに連絡先が載っていたんですけど、写り込みのレベルなので、よく見えないんです。電話番号の最後の一桁が見切れていたので、0から9まで順番に番号を押して、吉本興業につながるまで電話をかけ続けました。なんとかつながって、東京NSC2期生に申し込んで、高校卒業後に上京して芸人を目指しました。

 

── 上京されてからの芸人生活は、どうでしたか?

 

福島さん:当時、同期は250人くらいいて「俺は明日売れるんだ!」みたいな、イケイケの人たちが全国から集まってきていました。「ラクしてお金を稼いで、女の子にもモテて、目立ちたい!」っていうノリだったと思います。僕も東京に出てきたときは、正直そんな感じで「まあ、1年くらいで売れるだろう」っていう甘い考えでいました。でも、NSCの初日の授業で「これは長い戦いになるぞ…」と悟りました。

 

── 何があったのでしょうか。

 

福島さん:自己紹介などがあったのですが、人前でおもしろいことを言うのは、一瞬だったらなんとかなっても、それ以上、笑わせ続けるのが難しいと気づいたんです。ちゃんと笑わせるためには、やっぱり経験とかセンスが必要なんだと知りました。そこで、何者でもない自分を痛感したというか。「自分って、とんでもなくおもしろくないな」って思いましたね。で、「長い戦いになるぞ」って覚悟をしたわけです。でも、まさかそこから20年もかかるとは思いませんでしたね(笑)。40歳手前になって、ようやく芸人として食べていけるようになりました。